斧節

混ぜるな危険

レイプ被害者が刑罰を受けるイスラム社会

・『日本人のためのイスラム原論小室直樹

 ・ジハードは義務
 ・レイプ被害者が刑罰を受けるイスラム社会

・『イスラム2.0 SNSが変えた1400年の宗教観』飯山陽
・『イスラム教再考 18億人が信仰する世界宗教の実相』飯山陽
・『中東問題再考』飯山陽
『宗教を生みだす本能 進化論からみたヒトと信仰』ニコラス・ウェイド

 既述のように、イスラム法において認められた性交とは、配偶者との性交と、女奴隷とその主人の性交のみです。ですからいわゆる不倫だけではなく、未婚者同志の性交も姦通とされます。(中略)
 姦通罪を犯した者に対しては、未婚者の場合にはコーラン第24章2節「姦通した女と男はそれぞれ100回鞭打て」にもとづき、100回の鞭打ち刑が科されます。また既婚者の場合には、預言者ムハンマドが姦通を犯した既婚者に石打ち刑を命じたとするハディースにもとづき、石打ち刑が科されます。石打ち刑とは受刑者が死ぬまで石を投げつけるという刑罰で、いわば死刑のありかたのひとつです。(中略)
 姦通は既婚者に対しては死刑が宣告される重罪ですが、歴史的には姦通罪が立証され死刑が執行されるケースはまれであったとされています。というのも、姦通罪立証には本人の自白か、もしくは青年自由人男性イスラム教徒の証人が4人必要で、しかも4人が4人とも挿入の瞬間を目撃しており、4人の証言内容がぴったり一致していることが要請されるからです。この要件を満たすのは現実的にはほとんど不可能です。
 現代のイスラム諸国でしばしばレイプの被害にあったと訴えた女性の側が逆に鞭打ちなどの厳しい刑罰を受けるのは、これが原因です。イスラム法においてはレイプも姦通と見なされるので、レイプされたという申告は姦通行為を行ったという自白だと認定される一方、レイプ犯のほうは自白せず、また4人の目撃者も現れなければ姦通罪は立証されません。


【『イスラム教の論理』飯山陽〈いいやま・あかり〉(新潮新書、2018年)】

「宗教に騙されないための教育」であれば私は賛成だ。聖書やコーランクルアーン)の内容を教える必要はない。もしもそれを行うのであれば、「我らがエル・カンターレの霊言も教えよ」という声が上がるだろう。道徳を超える範囲の教義は毒性が強い。

コーランを読んで暴力的な性質が変わった」と語った女性は、レイプ被害者が刑罰を受けるイスラム社会をどう考えているのだろうか? よもや、知らないということはあるまい。鞭打ちにも程度があるようだが、時折死者が出ることもある(AFP 2011年2月10日)。以下の画像はイランで行われた鞭打ち刑である。

 あるいは名誉殺人で殺される女性をどう考えているのだろうか? イスラム社会では女性の教育も蔑(ないがし)ろにされている。

 宗教こそは争いの原因であり、禍(わざわい)の種である。世界史の中で平和の礎となった宗教があるとすれば、それは神道くらいなものだろう。そもそも教義すらないのだから人を縛りようがない。自然と祖先を崇拝するのは人類共通の感情であろう。そして大和魂とは、もののあはれを感じる惻隠の情である。教義は「弱きを助け強きをくじく」「卑怯を憎む」「一寸の虫にも五分の魂」だけで構わない。一君万民の平等思想が奴隷不在の稀有な歴史と伝統を築いた事実を忘れてはなるまい。

 因みに中央アジアイスラム教では女性が礼拝堂に入ることも許されていない。