・『手紙屋 僕の就職活動を変えた十通の手紙』喜多川泰
・『心晴日和』喜多川泰
・『「また、必ず会おう」と誰もが言った 偶然出会った、たくさんの必然』喜多川泰
・『きみが来た場所 Where are you from? Where are you going?』喜多川泰
・読書の意味
・『株式会社タイムカプセル社 十年前からやってきた使者』喜多川泰
・『ソバニイルヨ』喜多川泰
・『運転者 未来を変える過去からの使者』喜多川泰
「趣味は読書です」と言う人に対して多くの人が抱くイメージは、「常識人」かもしれません。
ところが、実際にはそうではありません。それどころか、とんでもない「非常識人」だったりします。「変人」と言ったほうがいいかもしれません。
現代の「常識人」は、朝から晩までテレビを見ているような人たちです。大多数の人がそういう生き方をしていますから、今の常識はテレビでつくられています。ですから、誰かが付き合ったとか別れたとか、そういうゴシップ話で盛り上がります。ニュース番組のように、自分の正義を鋭く相手にぶつけ、はやりのお笑い芸人のようなしゃべり方をするのが常識です。
つまり、「読書の習慣を持ちましょう」というのは、「立派な常識人になりましょう」と言っているわけではありません。むしろ「立派な変人になりましょう」と言っているわけです。
言ってみれば、「変人のすすめ」です。
常識などというものは、誰かがつくり出した空想です。「常識人」など、実は一人としていないのです。すべての人が、誰とも違う常識を持って生きているのです。
【『書斎の鍵 父が遺した「人生の奇跡」』喜多川泰〈きたがわ・やすし〉(現代書林、2015年)以下同】
一応、私が読んだものでお薦めできるものだけを挙げておく。「ベストセラー作家に興味はないぜ」という硬派の者は、『ソバニイルヨ』と『運転者』だけ読めばいいだろう。どちらも傑作である。
ま、小説の体(てい)をした読書讃歌なのだが、微妙に私の趣味と合わない。ちょっと臭すぎる嫌いがある。傷ついた男の再生の物語でもある。自分の知らないところで織り成されていたドラマを知り、男は確実に目覚めてゆく。
私にとって読書は病気に他ならない。古本屋仲間も一様に病人である。皆で集まってワイワイやっていると、「同病相楽しむ」ところがあって話が尽きなかった。書物が「人生の扉を開く」のは確かだが、「部屋の扉が開かなくなる」のもまた確かなのだ。蔵書の数は30代で3000冊、40代になると5000冊となった。時折報じられる「本の重みで床が抜けた」というニュースを見ては、密かに震え上がったものである。
そんな世の中の雰囲気の中で生活していると、「人と違う」ことを恐れるようになり、「違った考えを持つ人」を非難するようになります。自分らしさを押し殺して、世間の常識と言われる誰かがつくり出したスタンダードに合わせるようになっていきます。
本を読むことは、人に会うことと一緒である。本を読めば、人に会えば変わることができるのだろうか? そうではあるまい。感受性が乏しければ、何冊読もうが、何人と会おうが変化はない。
一冊の本で人生が変わる場合がある。否、一言で天啓を受けることすらある。それまでに何を考え、何で行き詰まり、何で悩み、何で苦しんだかが問われるのだ。悟るのは一瞬である。読書が単なる依存であれば、それは気取った暇つぶしでしかない。