各山本末の発展に比して、大石寺は日道以降衰退の一途をたどった。
こうした暗黒時代にあって、大石寺9世日有は、自山顕彰の為に、板本尊を偽作するに及び、種脱勝劣の立場から日蓮本佛論を創唱するに至るのである。(中略)
しかし、日有の日蓮本佛論は教学的にまだ聖束したものではなく、日蓮本佛論が現今みられるようなものに完成され、石山教学が確立するには、26世日寛を俟たねばならなかった。日寛は、大石寺派の独自性が薄れ、北山・西山の両派に埋没してしまうことに危機感を持ち、自派の教学を宣揚するために日蓮本佛論を主張するに至ったものであろうと思われる。
【PDF 研究ノート 日蓮本佛論の構造と問題点(一) ――恵心流口伝法門との関係を視点として――:早坂鳳城(現代宗教研究所主任)】
創価班の広宣部経験者からは「何を今更」と言われかねないが、仏の定義すら時代を経て遷(うつ)り変わる傍証として残しておく。尚、早坂は既に物故している模様。
ところが先ほど反対意見を見つけた。
脳は情報の上書きによって物語を書き換えられる。つまり事実よりも説得力に富む物語性が求められているのだ。それを我々は合理性と名づける。日蓮系教団が遺文の偽書を採用するのも同じ理由と考えてよかろう。