斧節

混ぜるな危険

内外相対して内道が勝つ

・『潜在意識をとことん使いこなす』C・ジェームス・ジェンセン
・『こうして、思考は現実になる』パム・グラウト
・『こうして、思考は現実になる 2』パム・グラウト
・『自動的に夢がかなっていく ブレイン・プログラミング』アラン・ピーズ、バーバラ・ピーズ
・『あなたという習慣を断つ 脳科学が教える新しい自分になる方法』ジョー・ディスペンザ
・『ゆだねるということ あなたの人生に奇跡を起こす法』ディーパック・チョプラ
『無意識がわかれば人生が変わる 「現実」は4つのメンタルモデルからつくり出される』前野隆司、由佐美加子

 ・内外相対して内道が勝つ

・『ザ・メンタルモデル ワークブック 自分を「観る」から始まる生きやすさへのパラダイムシフト』由佐美加子、中村伸也
・『奇跡の脳 脳科学者の脳が壊れたとき』ジル・ボルト・テイラー
・『悟り系で行こう 「私」が終わる時、「世界」が現れる那智タケシ
・『わかっちゃった人たち 悟りについて普通の7人が語ったこと』サリー・ボンジャース
・『ブッダの教え一日一話 今を生きる366の智慧アルボムッレ・スマナサーラ
・『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬
・『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
・『タオを生きる あるがままを受け入れる81の言葉バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
『子供たちとの対話 考えてごらん』J・クリシュナムルティ

 いま、人が思っている愛って、嘘ばっかり。適合のパラダイムは、「何かしてくれる、これが愛だ」「何かしてあげる、これが愛だ」、これが適合パラダイムの愛ね。この天秤で成り立っているんですよ。これが、バンラスとれてる? っていう、してもらえていること、してあげていることのバランスが、愛が成立しているかどうかっていう天秤になっている。これは、基本的には、取引なんですよ。バランスが傾くと、愛されていない、もしくは搾取されているという感じになって、分離、みたいな。いま、まさしく、これでしょ?


【『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子〈ゆさ・みかこ〉、天外伺朗〈てんげ・しろう〉(内外出版社、2019年)以下同】

 親子関係に支配されている塾生とのやり取りから。病める創大生諸君はよく読んでおくように。

 驚嘆の一書である。由佐は1000人との面談を通してこのモデルを築いた。私は創価学会時代に軽く1000人以上の人々と対話をしてきた。だが、メンタルモデルには気づかなかった。生命の傾向性は見えていたが、私の指導の目的は「相手を動かす」ことにあった。つまり、コントロールや誘導である。

 創価学会員が行う親切は、世間からすると「ありがた迷惑」であることが多い。いや、殆どだ(笑)。親切の押し売りを情熱や慈悲だと錯覚している。いや、それは「お前の都合」だろ? 活動家とは「動員される人々」の異名であり、「創価学会の指令通りに動く人々」を指す。

 親の意向で創価高校創価大学に進学したメンバーは悲惨である。心を病むのも当然だろう。石を投げればうつ病に当たる様相を呈している。

 両親が望んでいる通りの自分になり、それをしてあげていますよね。だから、私のことを承認してくれるでしょ。これが、愛だと思っているんですよ。これは、本当は愛じゃないんですよ。
 愛ってどういうふうになっているかというと、基本的には、何かしてもらう世界には存在していないんですよ、何も。でも、子どもって、生まれてきたとときに、すべて愛だと想って大きくなるから、この愛の呪縛に囚われちゃうんですね。何か相手を満たすために行動を起こすのが愛だという定義になっている。もっと言うと、奉仕が愛だと想っている。この奉仕の中に自己犠牲という概念が組み込まれて、それに応えないということが、罪意識、罪悪感。よくできているね、って思います。だってこれで、一番支配できるから。だから、愛にこたえられていないという罪悪感でしょ。いまの私が持っているのは。

 由佐によれば、人間の意識の発達段階モデル(ライフサイクル論=ライフ・タペストリー)は、適合期→直面期→自己統合期→体現期→自己表現期と向かう。環境に適応しようと努力するのが適合期で、人生のほぼ全ての期間が該当する。直面期は人生の行き詰まりを通して自分を見つめざるを得なくなる時期で、内的統合を目指す人々が由佐のもとに集っている。

「内外相対して内道が勝つ」とは創価学会員であれば誰もが知る原理であるが、本書を一読すれば創価学会の外道ぶりがよくわかる。否、私からすれば日蓮すら外道に思えてくる。立正安国や広宣流布という考え方がブッダの教えから乖離している。日蓮モデル(仏法とすら呼び難い)は北伝仏教の体系化、哲学化、プラグマティズム化をして、悟りから遠ざかった感がある。そもそも三大秘法が悟りとは思えないし、妙法の内容を日蓮は説いていない。

 天外伺朗は「『悟り』に比べると小さなステップなのですが」と書いているが、凡夫からすれば十分「悟り」に値する。本書はクリシュナムルティバイロン・ケイティへの確かな足掛かりとなる。

 四つのメンタルモデルが実は自分の使命(ミッション)の裏返しであるという。つまり固有の痛みを乗り越えることで、自分という存在が「欠けていた世界」を補うのだ。