斧節

混ぜるな危険

山上容疑者が手紙を出したルポライター

・『カルト村で生まれました。』高田かや
・『洗脳の楽園 ヤマギシ会という悲劇』米本和広

 ・山上容疑者が手紙を出したルポライター

・『カルト脱出記 エホバの証人元信者が語る25年間のすべて』佐藤典雅
・『杉田杉田かおる
・『小説 聖教新聞 内部告発実録ノベル』グループS
・『マインド・コントロール岡田尊司
・『服従の心理』スタンレー・ミルグラム

 ことさらカルトの親をあげつらうために「河童の国」のことを引き合いに出したわけではない。創価学会に代表される既成新宗教でも原理主義的色彩の濃いプロテスタント福音派の教会でも、子どもを宗教に巻き込む点では同じだし、宗教とは関係のない親でも自分の思い通りに育てようとする傾向は、出生率が二人台を割った75年以降ますます強くなっている。


【『カルトの子 心を盗まれた家族』米本和広〈よねもと・かずひろ〉(文藝春秋、2002年文春文庫、2004年論創社、2021年)以下同】

 良書。俎上(そじょう)に上がるのはオウム真理教エホバの証人ものみの塔聖書冊子協会)、統一教会幸福会ヤマギシ会ヤマギシ会は宗教団体ではないが完璧なカルト組織である。

 子どもからすれば親は自分のことを守ってくれる絶対的存在であり、親にとって子どもは絶対的存在である。少なくとも親離れ・子離れの時期まで、親子は絶対的な関係で結ばれている。
 ところが、これまで見てきたカルトの親子関係は、親の欲求を子どもが満たすという歪(いびつ)な関係になっている。
 カルトが入り込むと、子どもより世界救済(オウム)、地上の楽園(エホバの証人)、地上天国(統一教会)、全人幸福社会(ヤマギシ会)のほうが絶対となるから、親子関係が逆転する。この逆転した関係を子どもが従順に受け入れ、親に合わせた行き方をすればカルト2世になっていくし、拒否すればエホバの証人のように親子関係は「断絶」する。

 今になって思うのだが、やはり幼い頃に親が不在がちなのは問題がある。物心ついた時から私の両親はほぼ家にいることがなかった。20:00になると親が敷いていった布団に入る毎日だった。弟が二人いたので、服を脱がせて畳んでやった。特に寂しいと感じた覚えはないのだが、心細かったのは確かだ。

 確か小学6年の時だったと思うが、1歳の弟が熱湯の入ったポットを引っくり返して火傷を負ったことがあった。「ギャアー!」という悲鳴をいまだに忘れることができない。腕に大きなケロイド状の火傷(やけど)が残った。思い出すだけで胸が痛む。小さな頃は気にしていなかったが、小学校高学年になると半袖のシャツを着なくなった。後で「じゃがいもを摺って患部に当てると火傷の痕が残りにくい」ことを知って地団駄を踏んだこともあった。ま、今はきれいになってんだけどね。

 創価学会で尊敬できる幹部はたくさんいたが、理想的な親子関係を結んでいる人は一人もいなかった。もっとはっきり言うと子供の出来が悪かった。それも、「なぜ?」と思うほどのレベルである。平均以下の子供ばかりであった。ひょっとすると組織で見せる姿が幻影なのかもしれぬ。

 創価学会の場合は、「我が子よりも広宣流布」が優先である。あるいは「会員」、または「組織」。子供は完全に放置される。世間の人から「学会員の家の子供は可哀想だ」という声を聞いたことが何度かある。

 数年前にエホバの証人の集いに参加したことがある。たまたま拙宅を訪れた人が感じがよかったので、「じゃあ一度行こう」と応じた。約束の日に私は一人で教会へ向かった。もうね、完全に新来者状態。握手攻め。思わず「これじゃあ餌食だな」と毒づいた。案内された席に坐り、隣の男性が聖書を見せてくれた。途中でその彼が登壇して聖書の講義を行った。元気のない講義で、精彩を欠いたB長のレベルであった。私はルワンダ大虐殺でエホバ信者のフツ族ツチ族を匿(かくま)った秘密がわかるかもしれないと淡い期待を抱いていた。見事に裏切られた。心を動かされたのは賛美歌だけだった。帰り際に破折しまくって、ダメ出しをしておいた。完全に時間の無駄であった。

 創価学会の家に生まれた場合、強制の度合いが桁外れに強くなる。まず勤行・唱題に始まり、少年部員会、座談会への出席が欠かせない。私は一度も休んだことがないよ。座談会はまだよかったのだが、部員会がとにかくつまらなかった。そんなこともあって、高等部担当でありながら時折、少年部員会にも顔を出して盛り上げてきた。ま、大半が名前を呼び捨てにするような顔馴染みだったが。

 私のアイデンティティを支えているのは、学会のおじさん・おばさんである。本当によくしてもらった。こういうところは学会のよさである。世間の子供は驚くほど大人と接する機会が少ない。

 尚、本書は秀逸なルポであるが、米本和広と統一教会に妙な関係があるようなので注意が必要だ(やや日刊カルト新聞:本紙記者を誹謗中傷する自称“ルポライター”米本和広氏、その社会的問題性に迫る)。