斧節

混ぜるな危険

政・財・学と創価学会の癒着

『創価学会を斬る この日本をどうする2』藤原弘達 1969年
『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩 1980年
『池田大作 幻想の野望 小説『人間革命』批判』七里和乗 1994年

 ・政・財・学と創価学会の癒着
 ・戸田城聖の遺産は4億2000万円
 ・会長辞任に追い込まれた背景
 ・牧口と戸田が戦争に反対した事実はない
 ・御書全集の刊行も金儲けが目的だった

『徴税権力 国税庁の研究』落合博実 2006年

 池田への依頼持ち込みの最盛期は(※昭和)38年4月に行なわれた、現職の東龍太郎と、阪本勝が一騎打ちした都知事選で、この時には大野伴睦岸信介南条徳男佐藤栄作が池田を訪ねているという(草柳大蔵現代王国論』)。彼らの依頼が奏功したか、公政連(※公明政治連盟公明党の前身)は、それまで都政の欠陥と腐敗を攻撃していたにもかかわらず、その都政の最高責任者である東龍太郎支持を表明し、多数都民の批判を浴びた。(中略)
 また池田はこれと思う大物を創価学会の文化祭に招き、参加者名簿をその声望と権力の貯金通帳として眺めた。42年10月の文化祭への来賓は5000人にのぼり、『日本の潮流』によれば、そのおもな顔ぶれは次の通りであった。
「政界は三木外相前尾繁三郎(自民)、賀屋興宣(同)、田中角栄(同)、田中法相塚原総務長官剱木文相柳田秀一(社会)、佐々木秀世(自民)、石橋政嗣(社会)の各氏ら。美濃部都知事秦野警視総監竹山静岡県知事、東前知事もローヤルボックスに姿を見せ、じっと見守っていた。官界からも多数が顔を見せていた。
 財界では松下幸之助氏の姿が目立った。銀行関係は田実渉(三菱)、岩佐凱実(富士)、堀田庄三(住友)、金子嘉徳(東海)、村野辰雄(三和)、原純夫(東京)の各氏ら。
 建設業界は本間嘉平(大成)、竹中練一(ママ/竹中)、吉川清一(清水)、渥美健夫(鹿島)の各氏。
 デパートは松田伊三雄三越)、飯田新一高島屋)、小菅丹治(伊勢丹)、古屋徳兵衛松屋)、堤清二(西武)、根津嘉一郎東武)、服部礼次郎(和光)の各氏ら。
 製紙業界は熊沢貞夫(王子)、金子佐一郎(十条)、木下又三郎(本州)、白石稔(三菱)の各氏。
(以下一流企業の大どころが続くが略す)
 学者では大熊信行(神奈川大)、清水幾太郎学習院大)、木下広居専修大)、磯村英一(都立大名誉教授)、古田重二良(日大)の各氏ら、それに一流出版社の幹部も数多く姿をみせた」
 池田はこれらの知名人に、動く人絵や人文字を見せて、会員の統制された、彼自身への忠誠心を見せつけ、出席者に様々の感慨を強いた。森下泰は「団結力」に感嘆久しくしたし、木下広居は「日本の将来に明るい気持をもった」(『週刊現代』42年11月2日号)。また38年の関西文化祭を見たマックファーランドは、
「こうした大衆のエネルギーと盲目的従順の表明に慄然とした。第二次世界大戦を憶えている者にとっては、こうした光景は決して忘れられるものではない。私の心に、ナチスの青年大会のニュース映画の一コマや、文明を絶滅してしまった全体主義の光景が、ちらっと浮かんで来る」とその著に記さねばならなかった。


【『池田大作「権力者」の構造』溝口敦〈みぞぐち・あつし〉(講談社+α文庫、2005年/『落ちた庶民の神 池田大作ドキュメント三一書房、1995年に加筆し文庫化)】

 安倍元首相が統一教会にビデオメッセージを送ったことが問題視されている。もちろん違法性はない。もしも道徳的な問題があるとすれば、かつて創価学会の文化祭に参加した来賓はどうなるのか? 1965年にはわずか4日間で355億3600万4309円もの強引な寄付金集めを行ったり、1969年には練馬区投票所襲撃事件を起こし、同時期には言論出版妨害事件で世間を騒がせた。その反社会性は明らかで新聞も報じていた。

 マックファーランドの著書とは『神々のラッシュアワー 日本の新宗教運動』(社会思想社、1969年)だろう。