斧節

混ぜるな危険

戸田城聖の遺産は4億2000万円

『創価学会を斬る この日本をどうする2』藤原弘達 1969年
『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩 1980年
『池田大作 幻想の野望 小説『人間革命』批判』七里和乗 1994年

 ・政・財・学と創価学会の癒着
 ・戸田城聖の遺産は4億2000万円
 ・会長辞任に追い込まれた背景
 ・牧口と戸田が戦争に反対した事実はない
 ・御書全集の刊行も金儲けが目的だった

『徴税権力 国税庁の研究』落合博実 2006年

 また戸田の私生活の面、ことに遺産配分は悪くすれば、創価学会の信用問題に発展しかねないものであったが、それをも大過なく処置したようである。
 戸田の妻・幾子は、戸田の死まもない4月23日、取引銀行である三菱銀行四谷支店長に、戸田名義の財産がどれだけ残っているか、調査を依頼した。彼女は、印税と株を動かした儲けが4億円ばかりある、と戸田から聞き、また戸田個人で費消する金は、幾子の父・松尾清一名義で三菱銀行番長支店に預けられ、その中に自宅の新築資金2000万円も含まれている等のことを知っていた。なお当時、創価学会は出版収入などで、その月収は2億円にのぼると噂されていた。
 が、調査の結果、戸田の死の翌日4月3日、戸田の妾で大蔵商事専務理事でもある森重紀美子により、名義が書き替えられていることが判明した。そのため仕方なく幾子は、戸田の生前、会長印を自由にしていた秘書部長・和泉美代(大蔵商事社長で創価学会小岩支部長・和泉覚の妻)を通じて、戸田の財産譲渡を会幹部に交渉した。この幹部に、大蔵商事の取締役だった池田も含まれていたかもしれない。
 後日、幹部は戸田名義の財産は8000万円で、うち2000万円だけを渡すといってきた。どのような事情があったのか、これで戸田家との遺産問題は決着した。また全国の信者から集められた香奠も、幾子の催促のすえ、ようやく6月9日に、4000万円から創価学会会葬の費用400万円を差し引いた残り3600万円が戸田家に届けられた。
 戸田には跡部雅子という妹がいたが、彼女も遺産分配を請求した。雅子は岩手県一関市に住み、当時、地元の商事会社社長の2号だったという。彼女は、戸田家からも創価学会からも遺産分配をはねつけられたため、12月2日上京し、知人を介して和泉美代に折衝し、すったもんだのあげく、彼女の所持する戸田関係書類(手紙など)と引きかえに34万円を受け取った。


【『池田大作「権力者」の構造』溝口敦〈みぞぐち・あつし〉(講談社+α文庫、2005年/『落ちた庶民の神 池田大作ドキュメント三一書房、1995年に加筆し文庫化)】

 出獄した戸田は出版・金融事業で失敗し、莫大な借金を背負った。事業の再建を図るために戸田は学会員からカネを集めて手形割引を行う金融会社をつくった。これが大蔵商事である。設立当初の社長は和泉覚(『懴悔の告発 私だけが知っている池田大作・創価学会の正体と陰謀山崎正友)であったが、昭和33年の時点は不明である。

 ただ、森重紀美子に通じていたのは間違いなく池田である。和泉夫人が池田の会長就任を支持しなかったのは有名な話で、多分このあたりの経緯が絡んでいたのだろう。

 昭和33年(1958年)の4億2000万円である。消費者物価指数が5~6倍になっていることを考慮すれば、現在の価値で20億円以上の貨幣価値である。考え方によっては20倍程度になっているとする見方もある(昭和30年の100万円は今で言ったらいくらの価値がありますか? - 教えて! 住まいの先生 - Yahoo!不動産)。

「妾がいた」「莫大な遺産があった」という事実を考慮すると、戸田の悟りは預流果(よるか)以下の可能性があると思うがどうだろう?

 尚、私が読んだ版に以下の記述はない。詳細を知っている方がいればご教示を請う。

【創価学会・顕正会】脱会支援サイト「蘇生の扉」