・本覚思想の正当性
・本覚思想とは時間論
・本覚思想とは時間的有限性の打破
・如来蔵思想の覚え書き
さほど関心があるわけでもないのだが、ちょっと気になったので覚え書きを残しておこう。既に何度も書いてきた通り、私としては「経文絶対主義」を掲げる日蓮を信奉しておきながら、「新古各種の刊本中に真偽未決の問題となるものも信行に資するものは之を取る」との姿勢は、いかにも質を重んじるように見せかけながら、その実は量に傾いており、一定の分量(1619ページ)で販売するところに目的があったとしか思えない。日蓮の教えにひそむプラグマティズムが室町時代の商人に受け容れられたのであろう。
日蓮遺文集の中で最も権威有る書と言われる『昭和定本遺文』に収録されている日蓮遺文の総数は434編に及びますが、その内日蓮真撰とされるものは222編・真偽未決が157編・偽撰が55編であると一般では見做されています。しかし、日蓮真撰とされているものの中にも偽撰の疑いが濃厚なものもあり、文献学上は真偽未決の殆ど全てが偽撰と見做されていますので、実に現存する日蓮遺文の粗半数が「偽書」だと言う事です。
中古天台思想盗用疑惑は、9世日有が要山からスカウトした日相が発端です。大石寺を古来より疑惑視する身延系学者や近代仏教学者は、この日相が中古天台思想を持ち込み、蓮祖本仏思想を捏造し、戒壇本尊を偽作し、"法水瀉瓶金口嫡々唯授一人血脈相承"の基を形成したと考えています。
また、天台大師の教学では、本迹は殊なりと雖も不思議一であったが、日本天台になって、空海の法華経応身説法説に対抗するために、法華経の本門仏が高調されるようになった。天台法華宗の教主は久遠の報身仏であり、能成は報身・所成は法身ということから、釈迦報身と大日法身の円密一致説が説かれるようになり、そこから本迹勝劣思想が形成されていった
ある意味では、仏教とは、ブッダからはじまる大創作運動とも言えるか。みんなが寄ってたかって、自分たちに都合よく勝手に作り上げて、これぞブッダが、祖師の書いたものと言ってしまう体質があるのではないか。
そのうえで、日蓮聖人に対しては「日蓮の教説は、いかに依法不依人の文献主義者のよそおいをこらそうとも、それは基本的には己れの教説に説得力をもたせるためのポーズ」とか、「正当化するため」等々論じ、
前回言いましたように日蓮聖人を完全に二枚舌偽善者扱いしています。