斧節

混ぜるな危険

創価学会の寄付金は年収の1割?

「学会側が明言することはありませんが、財務(注・一般的には寄付、お布施のこと)の額はおおむね収入の1割が目安といわれています」(デイリー新潮 2022年11月16日)。

 長井秀和の発言だが、私は一度も聞いたことがない。学会の指導性には地域差が結構あって、東京23区と多摩地域(第2東京)では随分と毛色が異なる。

 10分の1とは元々キリスト教の考え方である(十分の一税)。以前、学会の財務もこれを目安にするべきだと書いたことがある。

 三桁(100万円)の財務が組織的に奨励されたのは創立60周年の時(平成2年/1990年)である。それ以降、毎年「三桁、三桁」と連呼され、財務の活動報告は金額の多さを吹聴する内容となった。

 私が男子部の部長~本部長をしていた時期である。東京の下町ではバブルの恩恵を受けていない若者も多かった。私は主要活動家の財務の金額は全部掌握していた。年収が200万円代で100万円の寄付を行っている者が何人もいた。「親元で暮らしていたからできた」と言うことは簡単だが、年収(可処分所得)250万円とすると100万円は4割に相当する。中々大変だ。

 あらゆる宗教にはサディスティックな面があり、悲惨の度合いを増せば増すほど盛り上がる風潮がある。例えば丑寅勤行や10時間唱題会など。ま、犠牲と功徳の取引である。一種の経済行為といってよい。学会員の多くは「功徳があるから財務を頑張る」と語る。すなわち財務とは喜捨ではなく投資を意味するわけだ。本来であれば、その餓鬼的メンタルを超えるところに宗教性があるわけだが、戸田城聖が前面に押し出した現世利益論が創価学会員の思考を完全に支配している。

 3000万円の預金がある学会員が1000万円の財務を行った。その夫人(婦人部中堅幹部)は男子部に対して「所有しているクルマを売却して三桁を行う」よう促していた。

 正本堂供養の際は会社を売却した学会員も存在した。私が知る壮年幹部である。家を売って財務を行い、その後生活保護を受給している学会員もいると聞いたことがある。北海道では東京都議選の応援に行く交通費を捻出するために結婚指輪を質草にしたとの活動報告も聞いたことがある。

 私の記憶にある限りだと、池田は常に秋谷に対して「財務のお礼を言ったのか?」とマイク越しに語ることはあっても、自分で礼を述べたことは一度もない。

 昭和の最盛期には6000億円集めたとされる。デフレ下であっても平均すると1500~2000億円の集金力を誇る。1995年に総資産10兆円と自民党代議士が指摘した。これがもしも運用されることのないお金であれば、いずれ課税される日が訪れることだろう。

 金を集める宗教は例外なく邪教である。そんな簡単な道理も見えなくなるところに宗教の罠がある。