斧節

混ぜるな危険

将は、軍に在りては、君命をも受けざる所有り

『天空の舟 小説・伊尹伝』宮城谷昌光
『重耳』宮城谷昌光
『介子推』宮城谷昌光
『晏子』宮城谷昌光
『子産』宮城谷昌光

 ・将は、軍に在りては、君命をも受けざる所有り

『孟嘗君』宮城谷昌光
『楽毅』宮城谷昌光
『奇貨居くべし』宮城谷昌光
『香乱記』宮城谷昌光

 呉王闔廬〈こうりょ〉が孫武を試す。孫武を推挙したのは伍子胥〈ごししょ〉であった。

「この書を読んだ者は、では実際にどのように兵を動かせばよいのか、とかならず問いたくなるであろう。そこで中庭に兵をそろえておいた。孫武よ、実際に兵を動かしてみよ」と闔廬は命じた。


【『湖底の城 呉越春秋』宮城谷昌光〈みやぎたに・まさみつ〉(講談社、2010年/講談社文庫、2013年)以下同】

 子胥に促されて孫武がまとめたものが「孫子の兵法」である。孫武は戦争の仕方を一変させた。中庭にいたのは、後宮の美女であった。その数180人。「それがしを将軍に任じた、というあかしをたまわりたい」と孫武が申し出た。将軍の印である斧鉞(ふえつ)を授かる。太鼓の合図で見る方向を変えるだけの簡単なルールを決めた。しかし女たちは真面目に行う気がない。笑声が上がるほどであった。孫武は丁寧に同じ説明を繰り返した。それでも女たちが従うことはなかった。

 孫武はあいかわらず怒らず、しずかに隊長である愛妾を視(み)た。
「とり決めがあいまいで、命令がゆきとどかないのは、将軍であるわたしの罪であったが、すでにとり決めが明らかになっているにもかかわらず、軍法に従わないのは、吏士(りし)の罪です」

 王の左右にいた者が走り、孫武の手を止めた。しかし――

「わたしは、すでに将軍に任命されました。将軍とは、軍に在(あ)れば、君命さえも受けないことがあるのです」

 孫武は使者の手を払いのけて、ためらうことなく二人の隊長の首を斬った。軍紀粛正の真剣を抜く姿であった。

 ――将は、軍に在りては、君命をも受けざる所有り。
 という、孫武が示した認識は、後世、軍事的常識となった。敵陣を目前にした将が、戦場にいない君主の指図をいちいち仰いでいては、勝負にならない。
 それはそれとして、孫武がふたりの隊長の首を斬ったとき、さすがの子胥〈ししょ〉も、
「あっ」
 と、顔色を変えた。いや、孫武をのぞいて、すべての者が息を呑(の)み、凍りついたといってよい。

 私がシビリアン・コントロールを鵜呑みにしない理由もここにある。戦争は生き物だ。文民(政治家)が戦況を掌握するまでには時間を要するし、そもそも全てを把握することは困難であろう。

 女兵がつくりあげられてゆく過程をまのあたりにした子胥〈ししょ〉は、
 ――孫武には神彩(しんさい)がある。
 と、胸中でうなった。おそらく闔閭〈こうりょ〉はたわむれに孫武を試したのであり、そのたわむれの意(おも)いと感情が女たちにもつたわって、孫武を遊戯の相手としかみなかった。が、王の命令に、たわむれも、本気もない。王命は王命である。それを厳然と示したのが、孫武であった。
 人を試すことは、おのれが試されることになる。

 孫武は闔閭に見切りをつけたが、闔閭は心を改める。こうして孫武が歴史上に登場するのである。