斧節

混ぜるな危険

思え

 ・思え

・『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』佐瀬稔
・『星と嵐』ガストン・レビュファ
・『ビヨンド・リスク 世界のクライマー17人が語る冒険の思想』ニコラス・オコネル
・『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』ヨッヘン・ヘムレブ、エリック・R・サイモンスン、ラリー・A・ジョンソン
・『ソロ 単独登攀者 山野井泰史』丸山直樹
・『凍(とう)沢木耕太郎
・『ポーカー・フェース沢木耕太郎
・『白夜の大岩壁に挑む クライマー山野井夫妻NHK取材班
・『垂直の記憶山野井泰史
・『アルピニズムと死 僕が登り続けてこられた理由山野井泰史
・『ドキュメント 生還 山岳遭難からの救出』羽根田治

 やすむときは死ぬときだ。
 生きているあいだはやすまない。
 やすまない。
 おれが、おれにやくそくできるただひとつのこと。
 やすまない。
 あしが動かなければ手であるけ。
 てがうごかなければゆびでゆけ。
 ゆびがうごかなければ歯でゆきをかみながらあるけ。
 歯もだめになったら、目であるけ。
 目でゆけ。
 目でゆくんだ。
 めでにらみながらあるけ。
(中略)
 もう、ほんとうにこんかぎりあるこうとしてもうだめだったらほんとうにだめだったらほんとうにもううごけなくなってうごけなくなったら――
 思え。
 ありったけのこころでおもえ。


【『神々の山嶺(いただき)』夢枕獏〈ゆめまくら・ばく〉(集英社、1997年集英社文庫、2000年/角川文庫、2015年)】

意業がカルマの基盤」の続きを。

 テキストはエヴェレストでの羽生丈二〈はぶ・じょうじ〉の手記である。布団の中で読み終えて眠れなくなった覚えがある。標高8848mに解き放たれた男の本能を目(ま)の当たりにしたためだ。

 マラソンは人生と似ているが、高所登山・マウンテンクライミング・縦走は人生と隔絶している。死と隣り合わせというよりは、死に向かう行為というべきか。「家に帰るまでが冒険」とは大衆向けの気休めに過ぎない。なぜなら冒険家や登山家は死ぬまで極地に向かい続けるからだ。その意味で登山家は山で死ぬ運命にある。彼らは平地でぬくぬくと安閑に生きることができないのだ。

 宗教者の修行が自己満足に終始するのと異なり、山頂という目的地は自分の都合で動かすことができない。努力だけではどうにもならない世界である。スキル(技術)と知恵が不可欠で、何にも増して運が求められる。天候が不順になれば山に登ることはできない。

 丈二という名前からジョージ・マロリーへのオマージュであることが伝わってくる。1924年に行方不明となったマロリーの遺体が発見されたのは1999年のこと。『そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記』で遺体の写真を見た時の衝撃は忘れることができない。滑落姿勢で白骨化した遺体が、死んでも尚登り続けている姿に見えた。

 我々のありふれた平凡な死を想像してみよう。癌、脳血管障害による片麻痺(半身不随)、糖尿病の合併症による失明および足切断、認知症パーキンソン病などなど。また、神経疾患の末期症状として閉じ込め症候群がある。

 登山とは異なり緩慢な死を迎える中で「思う」ことはできるだろうか? 現代においてはたとえ生きる気力が失せたところで、病院や介護施設でブロイラーのように生き永らえることができる。我が子の顔を忘れ、自分の過去も忘れ、ご飯を食べたことも忘れ、生きてることすら忘れても、生き続けることを強いられるのだ。社会保障とは医療・介護施設を儲けさせるためのシステムなのだろう。

 目指すべき山頂のない我々は何を思えばいいのか? その疑問に答えるのが各人の生き方である。

 尚、本書の内容はその大半を、『狼は帰らず アルピニスト・森田勝の生と死』(佐瀬稔著、山と渓谷社、1980年)に負っていて、ノンフィクション性の高い小説となっている。