斧節

混ぜるな危険

発見は悟りと似ている

『量子革命 アインシュタインとボーア、偉大なる頭脳の激突』マンジット・クマール
・『すごい物理学入門』カルロ・ロヴェッリ
『すごい物理学講義』カルロ・ロヴェッリ
・『時間は存在しない』カルロ・ロヴェッリ

 ・発見は悟りと似ている

『二重スリット実験 量子世界の実在に、どこまで迫れるか』アニル・アナンサスワーミー

 朝の3時頃だったろうか、ついに計算の最終結果が得られた。……わたしはまさに驚愕した。……すっかり気持ちが高ぶって、眠ることなど考えられなかった。そこで宿を出ると、闇のなかをゆっくりと歩き始めた。そして、島の突端の海を見晴らす岩によじ登り、日が昇るのを待った……。

 わたしはよく、思いを巡らしたものだ。若きハイゼンベルクは、海を見下ろす岩によじ登りながら、いったい何を考え、何を感じていたのだろう、と。北海の風が吹き付ける荒涼としたヘルゴラント島で、波立つ広大な海と向き合って日の出を待ちながら、いったい何を思っていたのか。人類がのぞき見たことのない、めるくめく自然の秘密を知る最初の一人となった、そのすぐ後で。しかも彼は、弱冠23歳だった。


【『世界は「関係」でできている 美しくも過激な量子論』カルロ・ロヴェッリ:冨永星〈とみなが・ほし〉訳(NHK出版、2021年/原書、2020年)以下同】

 若きハイゼンベルク行列力学を編み出し、その計算結果がボーアの規則にカチリとはまった。量子力学における不確定性が垣間見えた瞬間だった。

 既に著名な学者であったニールス・ボーアが若き俊英ヴォルフガング・パウリを呼び寄せた。パウリはクラスメートのハイゼンベルクの力が必要だと説いた。マックス・ボルンの下(もと)で研究していたハイゼンベルクはボーアの膝下(しっか)に飛んだ。

 ハイゼンベルクはヘルゴラント島で得られた計算結果をパウリとマックス・ボルン教授に送る。ボルンはその重要さを直ちに見抜き、研究室の学生だったパスクアル・ヨルダンに整理させた。

 その後、イギリスの無名の若者からボルンのもとに短い論文が送られてきた。全く同じ理論が行列よりも抽象度の高い数学が用いられていた。この若者がポール・ディラックであった。

 その計算は困難を極め、ゲッチンゲンの三銃士(ボルン、ハイゼンベルク、ヨルダン)は途中で力尽きた。

 そこで誰よりもキレ者で尊大なパウリに助けを求めた。パウリは「実際、この計算は難しすぎるねえ……きみたちには」という返事をよこし、それから曲芸のようなテクニックを用いて、ものの数週間で計算を終えてみせた。
 結果は完璧だった。

 アルベルト・アインシュタインは旧友に宛てた手紙に、「このところのもっとも興味深い理論化といえば、ハイゼンベルクとボルンとヨルダンによる量子状態の理論化だろう。まさに、魔法の計算といってよい」と書いた。

 翌1926年にはエルヴィン・シュレーディンガー波動力学ハイゼンベルクと同じ答えを導き出した。

 原題は「ヘルゴラント」(聖なる島の意)。カルロ・ロヴェッリはイタリア生まれの理論物理学者で、ループ量子重力理論の提唱者として知られる(現在はアメリカ在住)。類稀(たぐいまれ)な文才の持ち主で量子力学の啓蒙に一役買っている。

 ハイゼンベルクの姿が立教開宗した日蓮とダブった。発見は悟りと似ている。しかも量子力学の世界における「観測」は単なる観察にとどまらず、量子に直接的な影響を及ぼす。量子は人間が観測している時は粒として現れ、観測していない時は波として振る舞うのだ。

 量子力学が学問として発展する様子は「大乗」と呼ぶのが相応(ふさわ)しいとかねがね思っていた。人類の叡智が集団となって化学反応を起こしたようなドラマが繰り広げられた。量子力学の生みの親の一人であるアインシュタインは「神はサイコロを振らない」と死ぬまで懐疑の鞭を振るい続けた。宗教内部の争いは常に不毛な分派抗争となりがちで何の生産性もないが、科学における懐疑や批判は、より高度な証明を求めて、必ず新たな学問領域を開拓する。

 量子の二重性を思えば自分という存在は怪しくなる。自我なんてものは結局のところ錯覚に過ぎず、五蘊仮和合(ごうんけわごう)という装置みたいなものなのだろう。

 21世紀に入りポピュラー・サイエンスの花が開いた。本当にいい時代である。20世紀の大学生なら知り得なかった知識が簡単に手に入るのだから。牧口と戸田は来日したアインシュタインの講演(1922年/大正11年)を直接聴いているが理解できなかったことだろう。現在であれば20~30冊程度の書籍を読めば概要はつかめる。

 尚、「弱冠23歳」は誤りだ。弱冠は20歳の冠詞である。

 因みにパウリは戸田と生没年が一緒である。更に、オリヴィア・ニュートン・ジョンがマックス・ボルンの孫であることをWikipediaで知った。