ロシアの片田舎から初めて娘が嫁いだ日本を訪れたロシア人の母親が奈良へ行く。
「世界!ニッポン行きたい人応援団」を見ても明らかなように、来日した外国人は一様にお辞儀をするようになるのが不思議だ。母親も例外ではなく、鹿にお辞儀をし、仁王像を見ては威容に圧倒されてお辞儀をする。
最近知ったのだがアインシュタインにもお辞儀のエピソードがある。
日本のお辞儀という文化にもいたく感動した。アメリカに滞在中の湯川秀樹のもとを訪ね、「原爆で何の罪もない日本人を傷つけてしまった。こんな私を許してください」と激しく泣き出し、深々とお辞儀を繰り返したという逸話があるほどである。なお、この姿を見た湯川は「学者は研究室の中が世界のすべてになりがちだが、世界の平和なくして学問はない」という考えに至り、世界平和のための運動に力を入れるようになったという。
東大寺盧舎那仏像を目(ま)の当たりした母親は、思わず合掌しながら祈りを捧げる。そして沈黙の中で頬を濡らした。
「ブッダ、どうか私たち人間をお守りください。
私たちが健康で元気で幸せに暮らせるように。
私たちがお互い愛し合って助け合い、戦争が無く、みんなが常に平和であれるように、どうぞお力添えください。
私たちみんなをお守りください」
私はむしろロシア正教の懐の深さに打たれた。ロシア人は白人で唯一、人種差別感情が薄い(ユダヤ人差別の歴史は存在する)。それは古代ギリシャにおいて奴隷とされた歴史とは無縁であるまい(slave〈奴隷〉≒スラブ民族)。普通のキリスト教徒であれば、異教徒を犬か猫のように思っている。彼らが「発見の時代」(Age of Discovery/大航海時代)において異民族を虐殺できたのも、「同じ人間」とみなさなかったためだ。
ところがどうだ。この母親は異民族の仏像に何の躊躇(ためら)いも見せずに心から祈りを捧げているのだ。創価学会員にも絶対できない所業である。私は高校の修学旅行で奈良を訪れたが、心の中で「邪宗、邪宗」と唱えながら、鳥居をくぐらないように注意をし、古い歴史や美しい風景に心を踊らせることもなかった。このように宗教は人の心を束縛し、感動をも奪うことができるのだ。
更に驚かされたのは、アーキテクチャ(構造)がよく見えている点である。日本の女性にはない視点である。来日動画がたくさんアップされているのだが、別動画では日本庭園に描かれた模様が「水」であることも見抜いた。実に鋭い。
尚、大仏建立という国家プロジェクトに参加した人々は延べ人数で260万人にも及び、当時の人口の半数に迫るという(志村史夫著『古代日本の超技術 あっと驚く「古の匠」の智慧』)。