・『漢字 生い立ちとその背景』白川静
・『ことばが劈(ひら)かれるとき』竹内敏晴
・『大野一雄 稽古の言葉』大野一雄著、大野一雄舞踏研究所編
・『フェルデンクライス身体訓練法 からだからこころをひらく』モーシェ・フェルデンクライス
・『心をひらく体のレッスン フェルデンクライスの自己開発法』モーシェ・フェルデンクライス
・『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生』齋藤孝
・唯一絶対の価値観は存在しない
・『野口体操 感覚こそ力』羽鳥操
・『野口体操・からだに貞(き)く』野口三千三
・『野口体操・おもさに貞(き)く』野口三千三
・『野口体操・ことばに貞(き)く 野口三千三語録』羽鳥操
・『原初生命体としての人間 野口体操の理論』野口三千三
・『アーカイブス野口体操 野口三千三+養老孟司(DVDブック)』野口三千三、養老孟司、羽鳥操
・『誰にでもわかる操体法』稲田稔、加藤平八郎、舘秀典、細川雅美、渡邉勝久
・『万病を治せる妙療法 操体法』橋本敬三
もともと40億年の生きものの歴史から見れば、現在生きている人間の価値観などは、ほんの一時的なものでしかなく、画一化された一つの価値観が絶対のものとしてあるかのような考え方に束縛されて生きることなど、まことに馬鹿馬鹿しい限りである。唯一絶対の価値観があるかのように考える人の多い社会は、必然的に競争社会となる。オリンピック競技的な量的価値観がそれである。価値観はもともと主観的なもので、同一人にとってもその時その場の関係によって融通無碍・千変万化・自由自在に変わるべきものなのである。価値観というコトバが生まれたこと自体が、価値の観方(みかた)が多様であることに気が付いたからなのである。(野口三千三)
体に関する本は若い頃からずっと読んできた。20代で灰谷健次郎を通して竹内敏晴〈たけうち・としはる〉を知ったのが大きかった。唯脳論を説く養老孟司〈ようろう・たけし〉も「人体こそが都会における最後の自然」と主張している。
48歳の時に生まれて初めて肩凝りを発症した。上着に腕を通そうとした瞬間に激痛が走った。散々検索しまくって1週間で治した。こうして健康オタクの道が始まった。「健康のためなら死んでもいい」という藤原正彦の名言も背中を押した。
身体機能を最も発達させているのがアスリートであると考える人は多いだろうが違う。彼らは競技に即した部分的な鍛錬に特化しているだけだ。その証拠に一流のアスリートは必ず怪我に苦しむ。偏った負荷を掛けすぎているためだ。
人体を極限まで突き詰め、極めたのは武術家である(「武道家」ではない)。しかもその技は生死に直結しているため、秘伝という形で継承されてきた。『北斗の拳』の一子相伝ってやつだ。殆どの流派では師の晩年になるまで教えられることはなかった。なぜか? 弟子に教えた途端、自分が殺される可能性があるからだ。こうした厳しさが逆に作用して多くの技は伝承過程で失われる羽目となった。
外国人のユーチューバーが「世界の武術ベスト10」という内容の動画をアップしていた。そこで 紹介されていた武術はいずれも有名なものだったが、1位はなんと「忍術」であった。「よく、わかっているなー」と私は感嘆した。初見良昭〈はつみ・まさあき〉が主宰(しゅさい)する武神館(ぶじんかん)には世界中からSPや武術家が集っている。
名だたる武術家を追ってゆくと、肚(はら/丹田)と呼吸法に辿り着く。ご存じのように武術には禅の影響が色濃い。ここで身体(しんたい)を巡って宗教と武術が出会う――と書くのは簡単だが実際は異なる。悟りについては武術の方がリードしてしまうのである。就中(なかんづく)、阿波研造〈あわ・けんぞう〉や梅路見鸞〈うめじ・けんらん〉などの弓術では一瞥体験や預流果(よるか)に至る者が決して少なくない。
肚と呼吸法を深く探ってゆくと、うっすらと見えてくるものがある。私は一方で白隠禅師〈はくいんぜんじ〉とネドじゅんに出会い、他方では野口体操(野口三千三)と操体法(橋本敬三)を知った。
野口と橋本は戦後日本に咲いた独創の花と言ってよい。武術とは系譜が異なるが、身体操作・身体機能解明という点では一致している。野口三千三〈のぐち・みちぞう〉は甲骨文字や大和言葉の造詣も深く、『漢和大字典』に藤堂明保〈とうどう・あきやす〉が「貞(き)く」を採用したほどである。
尚、1990年に刊行された新版には野口の文章がないので要注意。