斧節

混ぜるな危険

創価大学の建学の精神を考案した原島嵩

『池田大作先生への手紙 私の自己批判をこめて』原島嵩 1980年
・『誰も書かなかった池田大作・創価学会の真実原島嵩 2002年

 ・原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その一
 ・原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その二
 ・原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その三
 ・正本堂問題の舞台裏
 ・創価大学の建学の精神を考案した原島
 ・戸田会長も認めた原島嵩の教学力

 昭和45年後半となり、私は政治家だけでは学会を守りきれないという反省から、「総体革命」という考えを池田に進言しました。「総体革命」という言葉は私が初めて発言したものですが、そうした考え方は、戸田会長時代の「水滸会」の基本的考え方にあったものです。池田は私の「総体革命」なる言葉をいたく気に入り、その後、そうした路線を真一文字に進むことになりました。
 昭和46年、創価大学が開学となりました。この時の開学のモットーも、私が考え提案したものです。私は、開学前からその準備委員もやっていましたので、創価大学の理事の任につきました。創価大学は、池田にとって最後の砦にほかなりません。私はその意味で、フォートレス(要塞)をモットーとして命名したのです。


【『絶望の淵より甦る 創価学会を脱会した歴史の生き証人 体験を通して真の信仰へ』原島嵩〈はらしま・たかし〉(日新報道、2007年)】

「総体革命」は広布第二章を貫く合言葉であった。原島にその意図があったとは思わないが、中身は共産党の浸透工作と同じものである。創価大学を中心に各界へ人材を投入していくイメージであった。

 創価大学の建学の精神を考案したのが原島であることを本書で初めて知った。戸田城聖の「生命論」を書いたのが石田次男であることを知った時と似たような衝撃を受けた。

 創価学会にはこうした嘘が多すぎる。どんなに隠しても嘘は必ず明らかになる。それが歴史の作用だ。