・波動関数の収縮
・『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
量子力学においては、物理系の時間発展、たとえば、ある素粒子の位置を考える際、その全ての可能性を「波動関数」としてまず表す。そして、これらの波動関数が干渉しあった結果、個々の可能性の起こる確率が決まる。観測されない限り、波動関数はシュレディンガー方程式に従って時間発展していく。実際に粒子を観測すると、一つに位置が決まるが、それぞれの位置に観測される確率が、波動関数から計算される。この時、あたかも、観測する前には粒子は波動関数として空間的に広がって分布していたのに、観測した瞬間にある特定の位置に「収縮」しているように見える。この波動関数の収縮のプロセスをどう理解するかが、量子力学の観測問題である。量子力学の観測問題がいまだに問題にされるのは、この波動関数の収縮のプロセスの意味がよく判らないからである。
【『意識は科学で解き明かせるか 脳・意志・心に挑む物理学』天外伺朗〈てんげ・しろう〉、茂木健一郎〈もぎ・けんいちろう〉(ブルーバックス、2000年)】
天外伺朗はニューサイエンス系である。やたらと「あの世」や仏教論理を振りかざす癖がある。そこで好き嫌いが分かれることだろう。私は決して嫌いではないのだが、臆断の人物という印象は免(まぬか)れない。
1998年の対談を編んだ作品なので古い。20世紀と21世紀の知識や知見は隔絶しているが、二人の志向は今読んでも古さを感じさせない。つまり、見据えている方向が正しいのだ。
最近のことだが量子本を読みながら突如として悟った。「波動関数の収縮は自我形成そのものだ」と。二重スリット実験の動画を再度参照してもらおう。
電子や光子などの粒子はスクリーンに届くまでは波として振る舞うが、どちらのスリットを通るかを観測すると粒として現れる。あるいは波として振る舞いながら、スクリーンに到達した途端に粒となって現れる。これが「収縮」だ。ビームスプリッターからスクリーンの間では、確率として存在するが位置は特定できない。つまり、「広がった状態」といってよい。この「観測するまでは存在しない状態」を非実在性と呼ぶ。
私の悟りは実に単純なもので今まで気づかなかったのが不思議なほどである。「自我は思考や感情によって収縮する」――以上である(笑)。思考や感情がない時、自我は存在しない。ま、波のような状態なのだろう。多分ここで私が言うところの「思考や感情」をブッダは「苦」と表したのだろう。凡夫にとって天界は幸福な状態だが、六道の境涯はいずれも皆、「苦」である。そして六道は外縁によって決まる。自分の問題ではなく世界(外部)の問題だ。本当は違うのだが、外部に原因があると思い込むのが六道の六道たる所以(ゆえん)である。
とすると、悟りとは思考や感情から自由になることだとわかる。更に、思考と感情こそが不幸の原因であることまで見えてくる。
