斧節

混ぜるな危険

題目を唱えると余剰エネルギーが解消

・『沖ヨガ入門 精神が肉体を自由にできる』沖正弘
・『ヨガによる健康の秘訣 足の裏から頭の先までの完全健康』沖正弘

 ・題目を唱えると余剰エネルギーが解消

・『ヨガの喜び』沖正弘

 人間は、文化生活に近づくほどからだを動かさないので、エネルギーの残留が多くなる。この余剰エネルギーを頭で使うことによって、“考える葦(あし)”といわれるまでに脳が発達したのだ。しかし、完全に脳でエネルギーを使いきる生活をしている人は少なく、したがってこの残留エネルギーがいろいろな形で消耗されている。ことさらに冒険や研究を好むのも・空想にふけるのも・けんかをするのも・異性を異常に追いまわすのも、みなこの残留エネルギー消耗の変形である。
 悟りも迷いも、病気も健康も、この残留エネルギーの使い方によって起こるのである。余りすぎて消耗できないとその刺激で混乱状態をまねき、興奮の極に自殺することさえある。このエネルギーの吸収と消耗に過不足のなくなったとき、すなわちバランスのとれたとき、私たちは自然にハレヤカさとスコヤカさを味わうことができ、満足感にひたることができる。
 長生きの秘訣は、この満足した状態、すなわちバランスのとれている状態をいつまでも保っていることである。それには、適量を食べて、心身エネルギーを正しく使う生活をつづけることで、なまけてエネルギーが余りすぎると早死にしてしまう。隠居すると死にやすいのがこの例だ。
 昔からのあらゆる修業法は、このエネルギーの使い方を教えたものである。余剰エネルギーが病気とか煩悶(はんもん)とかの形で現われていると、お題目を数時間唱えるとか、巡礼の名で諸国を歩きまわるとか、奉仕という形で作業をするなどのことによって、異常方向に使っていたエネルギーをその方向に解消したのである。私たちが、最上の健康状態を保っているときには、忙しい仕事をもって、楽しく精いっぱいそれに熱中でき、悩んだり、悲しんだりしている余裕がない生活をしているときである。


【『ヨガによる病気の治し方 病気を活用した自己改造法』沖正弘〈おき・まさひろ〉(白揚社、1965年)】

 妙な片仮名の使い方が気になるが、昔は新聞などでもよく見受けられた。確証はないのだが学生運動アジビラや立て看板の影響かもしれない。

 武術家でも沖ヨガの実践者は少なくない。元々全く知られていなかったヨガを広めたのもこの人である(正式にはヨーガ)。「第二次世界大戦中、参謀本部の特別諜報員としての必要上、東西医療法と各種教宗派の修行法の特別訓練を受け、モンゴル、中国、インド、アラビア各地に赴いた。戦後も探究心から中国や東南アジアに渡って医学と宗教を学ぶ」(Wikipedia)という恐ろしい経歴の持ち主だ。

 クリシュナムルティマントラ復唱を完全に否定しているが、悟った人の全てが否定しているわけではない。多くの場合、「思考を止める」ところに意味を見出している。とすると、願望を祈るのは単なる欲望強化となってしまうのでマントラを唱える前よりもレベルが落ちてしまう。

 既に散々書いてきたことだが、創価学会員で悟った人がほぼいないのだから、マントラの効能は知れたものである。病気が治ったとか、カネが儲かったなどというのはどうでもいいことだ。成功体験を得々として披露すること自体が、世俗に額(ぬか)づいている証拠である。

 念仏にせよ真言にせよ同様だろう。まだ、真言宗の方が悟っている人が多い印象がある。ただし、それはマントラ以外の修行によるものだ。

 結局のところ東洋の宗教はヨガと禅(瞑想&呼吸法)に収まる。