・水戸学の限界
長年に渡る疑問が氷解した。原田伊織著『明治維新という過ち 日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト』(毎日ワンズ、2012年/改訂増補版、2015年/文庫化完全増補版、講談社文庫、2017年)という悪書がある。私はまんまと術中にはまった。首まで浸(つ)かり溺れそうになるタイミングで読了した。鼻が微(かす)かな異臭を嗅(か)ぎ取っていた。「臭いぞ」とは感じたもの反論できるだけの知識が私にはなかった。原田伊織による洗脳は成功した。
その後、本書の長州批判は反日左翼サイトのリテラなどで取り上げられて、安倍政権批判に利用された。原田伊織はもともと広告屋である。人心を弄(もてあそ)ぶことを生業(なりわい)としてきた人物の主張を鵜呑みにするのは危うい。
「2 日本語と同調圧力」で茂木誠が、「この日本という均質な社会を守っているのは“海”よりも“日本語”である」と実に鋭い指摘をしている。道産子の私が東北の会津に親近感を抱くのは「地理的に近い」ためと思い込んできたが、実は「西の訛(なま)り」に対する違和感の方が強いかもしれない。
江戸時代に尊王思想を打ち立てたのは水戸学であった。明治維新で叫ばれた「尊王攘夷」という志向性を生んだのも水戸学である。尊王の総本山ともいうべき水戸・会津だったが、戊辰戦争では岩倉具視〈いわくら・ともみ〉が錦の御旗を偽造したことで戦況が引っくり返った。京都御所を守っていた会津勢が賊軍となってしまうのである。これに優(まさ)る偽旗作戦はあるまい。このため当時の会津の死者は靖国神社に祀(まつ)られていない。
こうした歴史を踏まえて私は孔子を忌避して老子に傾いた。老荘には革命思想がある。ところが浜崎洋介〈はまさき・ようすけ〉は陽明学が「儒教(朱子学)の忠孝一致を打破した」と指摘している。頭の中で閃光(せんこう)が走った。
水戸学の尊王論は天皇一君に万民が同等に仕えるのではなく、将軍-諸侯-武士が秩序関係を保っておこなわれ、「幕府が皇室を敬すれば諸侯が幕府を尊び、武士が諸侯を敬する」構造である。水戸尊王論は敬幕を前提にしており幕府の存在を否定するものではなかった。
初めて会津に注目したのは藤原正彦著『国家の品格』で「什(じゅう)の掟」を知った時だった。その頃、「なぜ人を殺してはいけないのか?」と問う子供たちが現れ始めた。藤原は「ならぬことはならぬものです」の一言で愚かな問いを斥(しりぞ)けた。
私の中では「水戸学の限界」が小室直樹の指摘(上記リンク)と完全に一致した。創価学会の師弟路線にも水戸学と同様の志向があり、学会組織の上下関係という秩序を強固なものにしてきた。しかし三代会長亡き後、師弟不二で乗り越えることが難しい新たな時代の局面が必ず出てくるはずだ。その時、東大卒の官僚みたいな発想で新時代に適応することはできない。
「次の池田大作」というよりは、「次の日蓮」みたいな人物が登場しなければ、創価学会は水戸藩や会津藩と同じ運命を辿ることだろう。