・須田文書が示唆する21世紀後半の創価学会
須田文書の内容はともかく、一時は公然と反旗を翻した遠藤と距離を置いた須田が行動を起こした事実が重い。この反応から今後の創価学会が何となく見えてくる。
それは創価学会池田派と戸田派の分裂である。私からすれば池田も戸田も人師に(にんし)過ぎない。勝手に「永遠の師匠」と位置づけているのは創価学会内部の論理であって、仏教史上に名を残すこともないと思われる。「昭和期に巨大組織を構築し、政党を生むに至った」という程度の脇書にとどまることだろう。
新興宗教という次元で見ても「大本教弾圧」ほどのインパクトはない。教勢を振り返ると昭和45年(1970年)前後がピークだったのではあるまいか。公称750万世帯達成に水を差したのは、言わずと知れた言論出版妨害事件であった。
戸田城聖には「悟達」の経験があったが池田にはない(創価学会の師弟論 その一)。この一点を重視するかどうかで道は分かれる。ただし、戸田には池田ほどの分量の「言葉」が残っていない上、全集も絶版となっている。
日蓮遺文の会通(えつう)という点では今後、生成AIが池田を軽々と凌駕することが想定できる。更に、小説『人間革命』を始めとする著作の嘘や、表舞台から消え去った十数年間の詳細もやがて判明することだろう。既に物故した人物のカリスマ性を維持することは難しい。そして次々と落胆させられる事実が明るみに出てくれば、確実に多くの会員の心は離反してゆくに違いない。
戸田派が日蓮正宗に復帰して信仰の中心に日蓮と総本山を据えれば池田派に勝ち目はない。生きながらにして「永遠の師匠」などと位置づけたこと自体がそもそもの誤りであった。
いつか、池田の遺産や蓄財ぶりも明らかになることだろう。第三代会長就任に至る顛末(てんまつ)は、かなり詳細が明らかにされており、知らぬが仏は創価学会員だけだ。