日蓮遺文に「師子」は114箇所ある。「獅子」が2箇所。師子尊者、師子座なども該当する。いまだに解けていないのだが、「鎌倉時代にライオンが知られていたのか?」という疑問がある。アジアにトラはいるがライオンは存在しない。あるいは騏驎(きりん)や鳳凰(ほうおう)、狛犬(こまいぬ)に類する伝説上の動物だったのか。
肉食獣の喩(たと)えが日蓮の悟りの低さを表しているように感ずる。強いものに憧れるのは弱者である。大衆の劣情に訴える低劣な喩えだと思う。
此の経文は一切経に勝れたり。地走る者の王たり。師子王の如し。空飛ぶ者の王たり。鷹のごとし。南無阿弥陀仏経等はきじのごとし。兎のごとし鷲につかまれては涙をながし、師子にせめられては腹わたをたつ。念仏者・律僧・禅僧・真言師等又かくのごとし。法華経の行者に値ひぬればいろを失ひ魂をけすなり。
彼等程の蚊虻の者が日蓮程の師子王を聞かず見ずして、うはのそらにそしる程のをこじん(嗚呼人)なり。天台法華宗の者ならば、我は南無妙法蓮華経と唱へて、念仏なんど申す者をばあれはさる事なんど申すだにもきくわいなるべきに、其の義なき上、偶たま申す人をそしるでう、あらふしぎ、あらふしぎ。
願はくは我が弟子等は師子王の子となりて群猿に笑はるる事なかれ。過去遠々劫より已来、日蓮がごとく身命を捨てて強敵の科を顕す師子には値ひがたかるべし。国王の責めなををそろし。いわうや閻魔のせめをや。日本国のせめは水のごとし。ぬるゝををそるゝ事なかれ。閻魔のせめは火のごとし。裸にして入るとをもへ。
各々師子王の心を取り出だして、いかに人をどすともをづる事なかれ。師子王は百獣にをぢず、師子の子又かくのごとし。彼等は野干のほうる(吼)なり、日蓮が一門は師子の吼えるなり。
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— Wildlife Uncensored (@TheeDarkCircle) November 27, 2024