斧節

混ぜるな危険

知覚情報は0.5秒前の世界

・『唯脳論養老孟司

 ・知覚情報は0.5秒前の世界

『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二
・『できない脳ほど自信過剰 パテカトルの万脳薬池谷裕二
・『脳は奇跡を起こす』ノーマン・ドイジ
・『脳はいかに治癒をもたらすか 神経可塑性研究の最前線』ノーマン・ドイジ
『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ

 もっと言っちゃうとね、文字を読んだり、人の話した言葉を理解したり、そういうより高度な機能が関わってくると、もっともっと処理に時間がかかる。文字や言葉が目や耳に入ってきてから、ちゃんと情報処理ができるまでに、すくなくとも0.1秒、通常0.5秒くらいかかると言われている。
 だから、いまこうやって世の中がきみらの前に存在しているでしょ。僕がしゃべったことを聞いて理解しているでしょ。自分がまさに〈いま〉に生きているような気がするじゃない? だけど、それはウソで、〈いま〉と感じている時間は0.5秒前の世界なんだ。つまり、人間は過去に生きていることになるんだ。人生、後ろ向きなんだね(笑)。


【『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(朝日出版社、2004年ブルーバックス、2007年)】

 2009年に紹介したテキスト。

 40年も前のことだが、毎週地区リーダー宅で男子部の会合を行っていた。言い出しっぺは班長の私で自発的な集いだった。唱題会ではなく、地区活動社会と銘打っていたような覚えがある。結集することは目的にしていなかったので毎回5~6人くらいの規模だった。とにかく仲がよく、集まること自体が楽しかった。そんな雰囲気に釣られて毎回、終了後になると未活動だった地区リーダーの弟さんも輪に加わった。

 ある時、カメラが趣味の弟さんに私は言った。「写真の中に時間はあるんですかね?」と。弟さんは悲鳴のような声を上げて、「エーーーッ、小野さん、いつも難しいことばっかり訊いてくるねー」と応じて考え込んだ。ここから俄然議論は盛り上がった。「そもそも時間があるのか?」「あるよ。シャッタースピードの時間が」などなど。

 1時間後に得られた結論はこうだ。「シャッタースピードの幅の時間が写っている」。

 私は光に速度があることを知ってから間もない頃、「するってえと、自分の眼が認識しているものは光速度の分だけ遅れているのだな」と気づいた。

 もっとわかりやすい例を示そう。我々が見ている太陽の光は8分19秒前のものだ。北極星は430年前の光なのだ。それを知った時の衝撃が今も尚宇宙に興味を抱く源泉となっている。

 更に五感情報は脳が認識するまで処理の時間を要する。つまり、我々は現実をありのままに認識することができないのだ。しかも脳は0.5秒分の遅れを補正までしているから自覚することができない。

 止観とはサマタ瞑想+ヴィパッサナー瞑想から成るが、「今にとどまって沈潜する」瞑想法なのだろう。

 厭(いや)なことがあると何度も繰り返して想起する羽目になる。これを業(ごう)というのだ。過ぎ去った過去にしがみついていれば今現在は見失われる。

 また、「今日から明日へ」も誤っている。明日や未来は過去同様に存在しない。存在するなら「持って来いや」という話になる。このように「ないもの」をあれこれ思い、迷うことを妄想と名づける。

 仮に生死一大事の血脈があるとすれば、「今ここ」にしかない。