・『ものぐさ精神分析』岸田秀
・『続 ものぐさ精神分析』岸田秀
・『意識する心 脳と精神の根本理論を求めて』デイヴィッド・J・チャーマーズ
・『神々の沈黙 意識の誕生と文明の興亡』ジュリアン・ジェインズ
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『ハキリアリ 農業を営む奇跡の生物』バート・ヘルドブラー、エドワード・O・ウィルソン
・『身体感覚で『論語』を読みなおす。 古代中国の文字から』安田登
・『文化がヒトを進化させた 人類の繁栄と〈文化-遺伝子革命〉』ジョセフ・ヘンリック
・『家畜化という進化 人間はいかに動物を変えたか』リチャード・C・フランシス
・『人類史のなかの定住革命』西田正規
・『反穀物の人類史 国家誕生のディープヒストリー』ジェームズ・C・スコット
・『文明が不幸をもたらす 病んだ社会の起源』クリストファー・ライアン
・『ポスト・ヒューマン誕生 コンピュータが人類の知性を超えるとき』レイ・カーツワイル
・『AIは人類を駆逐するのか? 自律(オートノミー)世界の到来』太田裕朗
・『Beyond Human 超人類の時代へ 今、医療テクノロジーの最先端で』イブ・ヘロルド
・『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』ユヴァル・ノア・ハラリ
・『われわれは仮想世界を生きている AI社会のその先の未来を描く「シミュレーション仮説」』リズワン・バーク
・『ザ・ワーク 人生を変える4つの質問』バイロン・ケイティ、スティーヴン・ミッチェル
以上のような立場から、宗教や哲学の多くは、幸福に対して自由主義とはまったく異なる探求方法をとってきた。なかでもとくに興味深いのが、仏教の立場だ。仏教はおそらく、人間の奉じる他のどんな信条と比べても、幸福の問題を重要視していると考えられる。2500年にわたって、仏教は幸福の本質と根源について、体系的に研究してきた。(中略)
幸福に対する生物学的な探求方法から得られた基本的見解を、仏教も受け容れている。すなわち、幸せは外の世界の出来事ではなく身体の内で起こっている過程に起因するという見識だ。だが仏教は、この共通の見識を出発点としながらも、まったく異なる結論に行き着く。
仏教によれば、たいていの人は快い感情を幸福とし、不快な感情を苦痛と考えるという。その結果、自分の感情に重要性を認め、ますます多くの喜びを経験することを渇愛し、苦痛を避けるようになる。脚を掻くことであれ、椅子で少しもじもじすることであれ、世界大戦を行なうことであれ、生涯のうちに何をしようと、私たちはただ快い感情を得ようとしているにすぎない。
だが仏教によれば、そこには問題があるという。私たちの感情は、海の波のように刻一刻と変化する、束の間の心の揺らぎにすぎない。5分前に喜びや人生の意義を感じていても、今はそうした感情は消え去り、悲しくなって意気消沈しているかもしれない。だから快い感情を経験したければ、たえずそれを追い求めるとともに、不快な感情を追い払わなければならない。だが、仮にそれに成功したとしても、ただちに一からやり直さなければならず、自分の苦労に対する永続的な報いはけっして得られない。(中略)
喜びを経験しているときにさえ、心は満足できない。なぜなら心は、この感情がすぐに消えてしまうことを恐れると同時に、この感情が持続し、強まることを渇愛するからだ。
人間は、あれやこれやのはかない感情を経験したときではなく、自分の感情はすべて束の間のものであることを理解し、そうした感情を渇愛することをやめたときに初めて、苦しみから解放される。それが仏教で瞑想の修練を積む目的だ。(中略)
このような考え方は、現代の自由主義の文化とはかけ離れているため、仏教の洞察に初めて接した西洋のニューエイジ運動は、それを自由主義の文脈に置き換え、その内容を一転させてしまった。ニューエイジの諸カルトは、しばしばこう主張する。「幸せかどうかは、外部の条件によって決まるのではない。心の中で何を感じるかによってのみ決まるのだ。富や地位のような外部の成果を追い求めるのをやめ、内なる感情に耳を傾けるべきなのだ」。簡潔に言えば、「幸せは身の内に発す」ということだ。これこそまさに生物学者の主張だが、ブッダの教えとはほぼ正反対だと言える。
幸福が外部の条件とは無関係であるという点については、ブッダも現代の生物学やニューエイジ運動と意見を同じくしていた。とはいえ、ブッダの洞察のうち、より重要性が高く、はるかに深遠なのは、真の幸福とは私たちの内なる感情とも無関係であるというものだ。事実、自分の感情に重きを置くほど、私たちはそうした感情をいっそう強く渇愛するようになり、苦しみも増す。ブッダが教え諭したのは、外部の成果の追求のみならず、内なる感情の追求をもやめることだった。
【『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』ユヴァル・ノア・ハラリ:柴田裕之〈しばた・やすし〉訳(河出書房新社、2016年/河出文庫、2023年)】
誤解のないように断っておくが、トップに掲げている書籍は全て読んでおり、ゆくゆく紹介するつもりで掲げてある。
本書で世界的に一世を風靡(ふうび)したユヴァル・ノア・ハラリだが『ホモ・デウス テクノロジーとサピエンスの未来』までは読んでおいた方がよい。『21 Lessons 21世紀の人類のための21の思考』以降は不要だ。
既にWEF(国際経済フォーラム)の手先であることが判明している人物だ。佐藤優〈さとう・まさる〉のスケールをでかくしたようなタイプと考えてよかろう。ユダヤ人でありながら、サティア・ナラヤン・ゴエンカに師事。ヴィパッサナー瞑想を長年にわたって実践している。
読みながら思わずタップした。少なからず30年ほど仏教を学んできたつもりであったが、私のやってきたことは他人の言葉をただなぞっていただけであったと思い知らされた。変質した日本仏教(特にマントラ系)の信徒であれば理解することさえ難しいだろう。
ニューエイジに対する悪口も実に巧(うま)い(笑)。クリシュナムルティとテーラワーダ仏教は相性が悪いのよ(『ブッダとクリシュナムルティ 人間は変われるか?』)。
とはいえ、預流果(よるか)の悟りを打ち破る指摘は瞠目(どうもく)に値する。大乗教徒の宮崎哲弥〈みやざき・てつや〉よりも仏教の造詣が深い。
しかしだな、議論の臭みが抜けておらず、ハラリ本人が悟っているかどうかも不明だ。知識の輝きはあっても悟性のきらめきは感じられなかった。
一読しかしてないので再読する予定。5~6回読んでもお釣りがくる内容だ。


