・『ザ・メンタルモデル 痛みの分離から統合へ向かう人の進化のテクノロジー』由佐美加子、天外伺朗
・『ブッダは歩むブッダは語る ほんとうの釈尊の姿そして宗教のあり方を問う』友岡雅弥
・『仏陀の真意』企志尚峰
・『悩んで動けない人が一歩踏み出せる方法』くさなぎ龍瞬
・『ブッタの思考法でアタマすっきり! 消したくても消えない「雑念」がスーッと消える本』くさなぎ龍瞬
・友岡ファンには草薙龍瞬がオススメ
・『これも修行のうち。 実践!あらゆる悩みに「反応しない」生活』草薙龍瞬
・『大丈夫、あのブッダも家族に悩んだ』草薙龍瞬
・『自分を許せば、ラクになる ブッダが教えてくれた心の守り方』草薙龍瞬
・『こころを洗う技術 思考がクリアになれば人生は思いのまま』草薙龍瞬
・『心の出家 変わらぬ日常をもっとラクに生きたいあなたへ』草薙龍瞬
・『人生をスッキリ整えるノート(今が一番幸せといえる自分を作る)』草薙龍瞬
・『ストレスと闘う日々にやすらぎを取り戻す 怒る技法』草薙龍瞬
・『消えない悩みのお片づけ』草薙龍瞬
・アルボムッレ・スマサナーラ
実は、私たちの日常は「心の反応」で作られているといっても、過言ではないのです。
たとえば、朝の通勤ラッシュで「今日も混んでいるな」とゲンナリする。これは、心を憂鬱にさせる【反応】です。心ない相手の態度にイラッとする。これは、怒りを生む【反応】です。大事な場面で「失敗するかもしれない」と、マイナスの想像をしてしまう。これは、不安や緊張を生み出す【反応】です。人と会うときも、仕事をしているときも、外を歩いているときも――心は、いつも【反応】しています。
その結果として、日頃のイライラや、落ち込みや、先ゆきへの不安やプレッシャー、「失敗してしまった」という苦い後悔などの“悩み”が生まれます。
ということは、悩みの始まりには、きまって“心の反応”があるのです。心が【つい】動いてしまうこと――それが悩みを作り出している“たった一つのこと”なのです。
だとすれば、すべての悩みを根本的に解決できる方法があります。それは――“【ムダな反応をしない】”ことです。
想像してみてください。ムダな反応をしなくなれば、人生、どれほどラクになることか。
動揺しない、落ち込まない、腹が立たない、プレッシャーを感じない、人前に出ても緊張しない、過去を振り返って後悔しない、先のことに不安を感じない――これこそ“人生の救い”ではありませんか。心が軽くなります。その分、きっと幸せが近づいてきます。
【『反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な「考え方」』草薙龍瞬〈くさなぎ・りゅうしゅん〉(KADOKAWA、2015年)】
草薙龍瞬は面白い経歴の持ち主で、「中学中退、大検合格、東大法学部卒業」。インド、ミャンマー、タイに仏教留学した後、「仏教を『現実に役立つ合理的な方法(生き方)』として紹介。宗派・伝統に属さない“独立派”の出家僧」となっている(公式ブログ)。
「突如現れた仏教界の新星」という印象が強い。柔らかな思考が友岡雅弥〈ともおか・まさや〉とよく似ている。ただし、友岡が後期仏教(大乗)であるのに対して草薙は部派仏教だ。そうした違いを味わうのもまた楽しい読書である。
私はダーウィンの進化論が苦手で、主著の『種の起原』(1859年)も何度か手にしたが読み終えたことがない。進化論についてはエホバの証人が批判本を出しており内容も決して悪くない。若い時分に借りて読んだことがあるのよ。
まず何と言っても「生存競争」という概念があまりに西洋的すぎて鵜呑みにできない。日本人の「森の発想」からすれば、生存競争よりも共生に重きを置くのは当然だ。森林で生存競争が繰り広げられているとすれば、森林は直ぐ滅んでしまうことだろう。
「生の本質は反応である」というのが私の考えである。そして、「反応は常に表現的である」と導かれる。個性とは、反応における独自性(ユニークさ)である。これは何も私のオリジナルではない。ただ単に、「五蘊」(ごうん)から思いついたものだ。
一連の情報処理の流れをアルゴリズムと考えることも可能だろう。ところがこのアルゴリズムには奇妙な点がある。ありとあらゆる情報が「快・不快」で判別され、「好き嫌い」の烙印を押され、同じ事実であったとしても個別の反応を引き出すのだ。そう。脳は妄想装置なのだ。その意味から申せば人間の判断は錯誤にまみれており、人や物事を「ありのまま」に見つめることができない。
「反応しない」とは、思考を止め、感情の波を打ち消すことだ。これが「止観」である。例えるなら、自分の周りに起こる出来事を「映画を視聴する」ように眺めることができるかどうかだ。
因縁果報とか因縁生起という言葉がある通り、どのような条件(縁)があろうとも因(原因)は生命の内部にあるわけだ。その因が変わらぬうちは、同じ反応(行=サンカーラ)を繰り返す羽目となる。これを業(ごう)と名づける。

