・なぜ左翼が駄目なのか その一
・なぜ左翼が駄目なのか その二
・なぜ左翼が駄目なのか その三
三、われわれは戦後の革命思想が、すべて弱者の集団原理によって動いてきたことを洞察した。いかに暴力的表現をとろうとも、それは集団と組織の原理を離れえぬ弱者の思想である。不安、懐疑、嫌悪、憎悪、嫉妬を撒きちらし、これを恫喝の材料に使い、これら弱者の最低の情念を共通項として、一定の政治目的へ振り向けた集団運動である。空虚にして観念的な甘い理想の美名を掲げる一方、もっとも低い弱者の情念を基礎として結びつき、以て過半数(マジョリティ)を獲得し、各小集団小社会を「民主的に」支配し、以て少数者(マイノリティ)を圧迫し、社会の各分野へ浸透して来たのがかれらの遣口〔やりくち〕である。
われわれは強者の立場をとり、少数者から出発する。日本精神の清明、闊達〔かったつ〕、正直、道義的な高さはわれわれのものである。再び、有効性は問題ではない。なぜならわれわれは、われわれの存在ならびに行動を、未来への過程とは考えないからである。(※〔振り仮名〕を付け加えた)《初出『論争ジャーナル』昭和44年2月号》
古くは公害問題である。左翼は直ぐさま被害者に寄り添い、反対運動を扇動した。当時の公害問題に違法性はなかった。因果関係がよくわからなかったためだ。それでも企業は一定の補償をした。
水俣病の被害を描いた作品に、石牟礼道子〈いしむれ・みちこ〉著『苦海浄土』(講談社、1969年)という名作がある。白川静〈しらかわ・しずか〉も本人との対談で「文章がよい」と褒めていた。心地よい水俣の方言に浸(ひた)りつつ、泣きながら読んだ覚えがある。しかし、である。実は創作が盛り込まれているのだ。第1回大宅壮一ノンフィクション賞を辞退したのも、それが理由であろう。個人的には彼女が左翼かシンパであると考えている。
人権を声高に主張する運動は全部左翼であると断じてよい。外国人参政権、LGBT問題、女系天皇など。昔の部落問題と同じ構図である。
「戦後の革命思想が、すべて弱者の集団原理によって動いてきた」との指摘は卓見だ。三島の炯眼(けいがん)恐るべし。
弱者に寄り添って社会問題を解決するのであれば私も応援するがそうではないのだ。対立構造を作り上げて「社会を分断する」ところに彼らの目的がある。労使交渉の敵対関係を見れば明らかだろう。
左翼の運動が恐ろしいのは、善男善女がシンパシーを感じて彼らの運動に連なってしまうところだ。ここが創価学会とは決定的に異なる点である。巧妙な大義名分に釣られてしまう人々こそ哀れだ。

