・『進化しすぎた脳 中高生と語る〔大脳生理学〕の最前線』池谷裕二
・自由意思はない
・『未来は決まっており、自分の意志など存在しない。 心理学的決定論』妹尾武治
・『ユーザーイリュージョン 意識という幻想』トール・ノーレットランダーシュ
・『隠れた脳 好み、道徳、市場、集団を操る無意識の科学』シャンカール・ヴェダンタム
・『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン
・『予想どおりに不合理 行動経済学が明かす「あなたがそれを選ぶわけ」』ダン・アリエリー
科学的な見地としては、自由意思はおそらく“ない”だろうといわれています。
【『脳はなにかと言い訳する 人は幸せになるようにできていた!?』池谷裕二〈いけがや・ゆうじ〉(祥伝社、2006年/新潮文庫、2010年)以下同】
自由意思(あるいは自由意志)は脱予定説を目指す。ところが「自由意思がない」とすれば全ては運命なのだろうか? そうかもしれないし、そうでないかもしれない。反対に「全ては偶然」と考えることも可能である。幸福には“まぐれ”の要素が必要だ(笑)。不思議な偶然がなければドラマは描きにくい。起承転結の転だ。
ヒトと違って、ヒルの脳は単純です。神経細胞も全部で数万個しかありません。これらの神経はどうネットワークを作っているのかもだいたいわかっています。つまり、実験のツールとして、ヒルというのは優れた標本なのです。この神経回路をしらみ潰(つぶ)しに調べていくと、泳いで逃げるか、這って逃げるかを、どの神経細胞が決定しているかがわかります。
実際に、突き止められたのです。208番という番号のついた神経細胞がそれでした。
神経細胞には、電気活動としての「ゆらぎ」があります。
神経の細胞膜の電気が、ノイズとして、とくに理由なく「ゆらぐ」のです。空中の風と同じで、明確な原因があるというわけではなくて、システムというのは、そこに存在するだけでゆらいでいます。つまり、神経細胞の膜の電気が、たくさん溜まっているときと、少ないときとがあるわけです。
そして、わかったことはこうだったのです。細胞膜の電気がたくさん溜まっているときに、刺激が来ると泳いで逃げる。逆に、溜まっていないときに刺激が来ると、今度は別の行動、つまり這って逃げたのです。実にそれだけのことだったのです。〈自由意思〉、〈選択〉をとことん突き詰めていくと、要は、「ゆらぎが決めていた」にすぎなかったのです。刺激がきたときに、たまたま神経細胞がどんな状態だったかによって行動が決まってくるわけです。
私たちの高度な〈選択〉もよく考えてみると、絶対的な根拠なんてものはありません。
ストンと腑に落ちた。そもそも、意識が発動する0.5秒前から脳は作動していることを踏まえると、「自分で決めた」と思うこと自体が錯覚の可能性が大きい。
また、行動経済学が人々の欲望を操作できることを明らかにしている。
分離脳の研究で判明した面白い話がある。左眼で見た情報は右脳に送られるため、認知しているが言語化することはできない。しかしながら右脳は言語化はできないものの、絵に描いたり、笑うなどの動作で示すことは可能だ。例えば左眼に「笑う」と書いた紙を見せると分離脳患者は笑う。で、「なぜ、笑ったのですか?」と質問すると、「先生の顔が面白かったから」と答える。ここが凄いところなのだが、左脳と右脳の認知的不協和を嘘のストーリーで乗り越えるのだ。
更に私が納得した最大の理由は、宇宙そのものが誕生直後にゆらいでいることを知っていたためだ。「量子ゆらぎ」や「真空のゆがみ」と言われた状態はビッグバン以前に起きたとされる。それが、宇宙マイクロ波背景放射の観測によって明らかとなった(2010年)。
ほら、ゆらいでるでしょ?(笑) 1/10万のゆらぎが拡大した姿だ。もしも、ゆらぎがなかったら星や生物が生まれることはなかった。ただ一様に等しいのっぺらぼうの空間が広がったはずだ。
個人的には歴史も同様であるように思う。我々はともすると英雄が歴史を動かしているように錯覚するが、実は同時代に生きた人々の熱力学的なスケールで決まっているのではないだろうか。
こうした流れの中で犯罪者を擁護する向きもあるのだが(『あなたの知らない脳 意識は傍観者である』デイヴィッド・イーグルマン)、私はいかなる理由があるにせよ、犯罪行為に等しい量刑を科すべきだと考える。

