・『雷電本紀』飯嶋和一
・『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
・『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行
・『古武術の発見 日本人にとって「身体」とは何か』養老孟司、甲野善紀
・『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法』甲野善紀
・『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀
・『惣角流浪』今野敏
・巨大暴力団を一人で制圧
・『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義』津本陽
・『深淵の色は 佐川幸義伝』津本陽
・『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
・『佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法』『月刊秘伝』編集部編
・『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也
人影のない裏通りを通りかかったとき、柳の根方から、6人の男があらわれた。
「やい、武田惣角。貴様は裁判所の犬だってなあ。犬は生かしちゃおけねえ。気の毒だが命は貰(もら)ったぜ」
男たちは手に手に匕首(あいくち)をひらめかせ、喧嘩(けんか)なれた物腰で迫ってきた。
惣角は濡れ手拭いを右手にぶらさげたまま、立っている。
「野郎」
やくざのひとりが、匕首の柄(つか)を下腹にあて、体ごと突っこんでいった。
体当りをする瞬間、惣角の腹をえぐり抜こうというのである。
「ばか者」
惣角は低く叫ぶなり、濡れ手拭いをやくざの顔に叩きつけた。
なにかが潰れるような音がして、やくざがあおむけに倒れた。眼鼻から血を噴きだし、身もだえするのみで起きあがれない。
脳震盪(のうしんとう)をおこしたのである。
「これでもくらえ」
「それ、こっちもだ」
二人が前後から突きかかる。
惣角は体をかわし、二人の顔を手拭いで瞬間に打った。
やくざたちの頭蓋(ずがい)が、石を打ちあわせるような音をたてはちあわせをした。そのまま膝(ひざ)を折り、地面に打ち伏し苦悶(くもん)の声をあげる。
惣角は下駄をはいたまま突進した。相撲取りくずれが歯をむきだし、匕首を振りおろした。
「ぎゃあっ」
鶏が喉(のど)を締められるような声をあげ、彼は棒立ちになった。
右手がぶらさがり、匕首が地に落ちた。惣角の手拭いの一撃で、腕の骨が折れたのである。
残りの二人は恐怖にかられ、身をひるがえし逃げようとした。
惣角は追いすがり、二人の頭に手拭いを叩きつけた。二人とも頭をかかえ、しゃがみこむ。
6人のやくざが地に這(は)い、苦悶の声をあげるさまを、町の人々が遠巻きにして眺(なが)めていた。
「おのれどもは、いままで悪事を重ねてきたのであろう。しばらくは動けぬようにしておいてやる」
惣角はやくざどもを、下駄でしたたかに蹴りつづける。
悲鳴をあげ、転がりまわるやくざどもは、腕、肋骨、足の骨を折られた。
惣角の腕前が、人間業とは思えない恐ろしいものであると知った丸茂組は、全力をあげて、惣角抹殺(まっさつ)をくわだてた。
【『鬼の冠 武田惣角伝』津本陽〈つもと・よう〉(実業之日本社、1987年/新潮文庫、1991年/双葉文庫、2010年/実業之日本社文庫、2018年)】
明治37年2月、日露戦争勃発。武田惣角〈たけだ・そうかく〉は第2師団教授の役目を果たす。同年、函館地方裁判所から出張要請があり7月6日函館入り。
惣角は風呂好きであった。この日もまだ明るい時間に銭湯へ足を運んだ。丸茂組の詳細は不明だが、「丸茂一家」がこれか。別のサイトには「明治37年、北海道を縄張りとし、樺太から東北六県、新潟から東京まで勢力を伸ばしていた丸茂組を単独で制圧する」とある(Wikippe)。
既に紹介した冒頭の「明治35年に、彼は単独で全道5万人の無頼漢に立ちむかったのである」は、明治37年の間違いだろう。現在では考えにくいが当時は警察よりもやくざの勢力が大きく、抗争の渦中から逃げてきたやくざが保護を求めた警察署内で惨殺されるようなことがあった。本州から流れ込んできた者も多く、過酷な労働環境が血気盛んな連中を輩出していたのだろう。政治家や司法も無力であった。
それにしても濡れ手拭いでこれほどの攻撃ができるものなのか? 「我こそは」という剣士がいれば試してもらいたいところである。
多数のやくざが惣角を襲うべく集結したが、恐ろしくて近づくことができない。惣角は知略を巡らして親分を人質にしようと思い立つ。結局親分と話がつき、その後、警察立ち会いの下で手打ち式が行われるのである。
惣角はこの一事によって北海道の英雄となった。現代であれば独りでテロを制圧したような所業だろう。それを可能にした武術があり、それを実行した武術家が存在したのである。
広域暴力団や中国マフィアを相手に独りで戦う武術家は現在でもどこかにいるのだろうか? それとも法律を遵守して殺生とは無縁な健康法に変わり果ててしまったのだろうか。
【2023-06-03】
