斧節

混ぜるな危険

会議はアイディアを生み出す現場である

 ・会議はアイディアを生み出す現場である
 ・無駄な会議が奪うエネルギー

・『偏愛マップ キラいな人がいなくなる コミュニケーション・メソッド齋藤孝
・『呼吸入門齋藤孝
・『身体感覚を取り戻す 腰・ハラ文化の再生齋藤孝
・『息の人間学 身体関係論2齋藤孝
『坐(すわ)る力』齋藤孝

「日本的会議」の弱点はアイディアを出さない人でも偉そうにしていられるところにあります。
 本来、会議において偉いということは、課題状況を乗り切る具体的アイディアを出せることを意味します。質の高いアイディアを次々に出せる人がその会議では序列が高くあるべきなのです。
 ところが現実にはそうはなっていません。あらかじめ序列が決まっていて、アイディアを出せる才能とは無関係に発言権が分配されています。
そういう現実がなぜ延々と引き起こされてしまうのかというと、「会議はアイディアを生み出す現場である」という認識が共有されていないからだと思います。これをまずみんなで共有するところから会議革命は始まります。


【『会議革命』齋藤孝〈さいとう・たかし〉(PHP研究所、2002年PHP文庫、2004年)】

「アイディア」の表記が好ましい。普通は「アイデア」だ。20年ほど前になるが新聞社に問い合わせたことがある。本来は「アイディア」が正しいのだ。電話に出た記者は「そう言われれば確かに。ただ、記事の表記は共同通信社が発行している『記者ハンドブック』に拠(よ)ってます」とのことだった。

 齋藤孝を一躍有名にしたのはベストセラーとなった『声に出して読みたい日本語』(2001年、草思社)である。私も直ぐ読んだ覚えがある。テレビ出演も多く、「わかりやすい天才肌」といった印象を受けた。また、生活に基づいた柔らかな視点がどこか永六輔と似ているようにも思った。ずっと教育の専門家だと思い込んでいたのだが、実は身体(しんたい)、特に日本の腰肚文化と呼吸を研究する人物であった。悟りのメカニズムが呼吸と丹田(たんでん)にあると知り、自然と齋藤孝に至ったのが昨年のことである。書誌情報が豊富で実によき水先案内人役を務めている。更に重要なことは引用書籍に抜かりがない。「あれがない、これもない」と普段ならケチをつける私が黙り込むほどだ。

 男子部になったばかりの頃、「座談会はどうだ?」と訊ねられ、「面白くないですね」と答えた。「どうすれば面白くなると思う?」と問われ、「さあ? わかりません」と応じた。因(ちな)みに私はかなり声がでかい。男子部の部活動社会では毎回次々と質問を繰り出し、完全無欠な「教えて君」状態だった。一つ年上の先輩から「お前がいると誰も喋れない」と言われたことがあるほど。

 部長が「そんな姿勢で子供みたいに面白くないと言うのは無責任ではないか?」と畳み込んだ。「じゃあ、どうすりゃいいんですんか?」と私は少し声を荒げた。「座談会を成功させる秘訣は協議会にある。だから、まず協議会を男子部主導で行え。率先して司会もせよ」――「エ、マジっすか?」とは思わなかった。根が単純な私は「そんな簡単なことか」と胸を撫で下ろしたのだ。

 早速、男子部3名で地区部長宅を訪れ、「協議会の司会を男子部にやらせて欲しい。内容については事前に地区部長と打ち合わせをしたい」旨をお願いした。普段から全くやる気のない地区部長は手放しで喜んだ。「フフフ、罠にはまったな」と我々はほくそ笑んだ。座談会では必ず男子部が何かやることになった。ほぼ毎回、寸劇で、台本を書く私は「演(だ)し物」という感覚に近かった。以下は過去記事からの引用だ。


 主体的に行動すれば、何をやっても本当に楽しい。上の写真は、男女両部長に入ってもらった時のもの。これが一地区だけの男女青年部である。左側が暗くなっているが、全部で27名が写っている(友人1名、少年部1名含む)。特に大結集したわけではない。これが普通だった。ま、3年ぐらいかかったけどね。毎月、統監25名の内、23名が座談会に参加するようになった。当日参加は、25名中17名が最高記録。札幌西区では常に一位だった。しかし、最初っから一位を目指したわけではない。結果的にそうなったというだけの話。


 壮年・婦人は、芝居を見に行くような感覚で座談会に集った。「今月は、何をやってくれるのかな」と皆が楽しみにしていた。その中で陸続と青年が育った。座談会が完璧に仕上がった時、折伏が次々と決まりだした。とにかく、集まるのが楽しかった。皆と顔を合わせれば、悩みも吹き飛んだ。


2006-05-01

 もちろん最初から上手くいくわけがない。自分が納得できるレベルになるまでは1~2年を要する。だが、たった1~2年で老若男女が集う会合を盛り上げることが可能になるのだから、下手な社員研修よりもずっと凄いと思うぞ。

 もう、40年前のことだが、今でも時折思い出しては大笑いする名シーンがいくつもあった。