・『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介
・『トラジャ JR「革マル」30年の呪縛、労組の終焉』西岡研介
・創価学会の設立時から顧問に就任した塚本素山
・「対日工作四人組」の創価学会工作
・田中角栄と創価学会のねじれた関係
・アメリカのシンクタンクも創価学会を警戒
・『自治労の正体』森口朗
・『日教組』森口朗
・『ポリコレの正体 「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは』福田ますみ
一方、そのころ(※1963年/昭和38年)周恩来は中日友好協会初代会長の廖承志〈りょう・しょうし〉に命じて本格的に創価学会の調査を始めます。廖承志はその調査を秘書長だった孫平化〈そん・へいか〉に命じました。孫平化が東京の住居として間借りしていた家主がLT貿易で活躍した高碕達之助〈たかさき・たつのすけ〉でした。高碕が池田と親しい間柄であることを知ったからです。(中略)
調査を追えた孫平化は、「池田大作会長の就任以来、会員世帯数はわずか3年で300万世帯に倍増しています。会員数は1000万人。日本の人口の1割が学会員です」と周恩来に報告しています。それを受けて周恩来は、さっそく廖承志に指示し、「対日工作四人組」を組織しました。前出の『サピオ』の引用でも紹介されていたとおり、四人組には、孫平化、肖向前、趙安博、王暁雲という選りすぐりの「対日工作経験者」が選ばれています。
「対日工作四人組」の創価学会工作は、作家の有吉佐和子〈ありよし・さわこ〉(和歌山県、代表作『紀の川』など)や、政治家の松村謙三〈まつむら・けんぞう〉(富山県、日中友好に尽力)らを通じて執拗に行われ、次第に成果を上げていきました。
1965(昭和40)年7月、有吉同席のもとに当時、創価学会青年部長だった秋谷栄之助が、孫平化、劉徳有〈りゅう・とくゆう〉らと会談しました。
高碕達之助(元通産大臣)の自宅は創価学会本部の近くにあり、謂わば池田大作とは「ご近所さん」でもあった。私は本部の警備を行っていた際に偶然見つけて驚いた覚えがある。
本書には文化大革命の詳細も記されている。毛沢東の大躍進政策(1958年)が失敗し、翌年には劉少奇〈りゅう・しょうき〉が国家主席に就任する。1962年以降、毛沢東は表舞台から退かざるを得なくなる。そして、劉少奇を追い落とし、自分が国家主席に返り咲くことを目的とした文化大革命(1966-76年)が始まるのだ。
上記テキストは1963-65年にかけて行われた創価学会工作に触れているが、政治的混乱の季節にあっても一貫して対日工作が続けられたことに私は衝撃を受けた。何かにつけて淡白な日本人であれば後回しにしたことだろう。周恩来が対日諜報工作で創価学会に目をつけたのが1956年(昭和31年)なので、7年間にもわたる凝視が続いていたことがわかる。
周恩来の養女・孫維世〈そん・いせい〉は「延安京劇院の四大美女」と謳(うた)われた一人だった。毛沢東から手籠(ご)めにされたのが1949年(昭和24年)のことで、江青(毛沢東夫人)の恨みを買って殺害されたのが1968年(昭和43)であった。それでも尚、周恩来は毛沢東に付き従ったのである。怒りが氷に結晶したような人物であったと想像する。
