・『マングローブ テロリストに乗っ取られたJR東日本の真実』西岡研介
・『トラジャ JR「革マル」30年の呪縛、労組の終焉』西岡研介
・創価学会の設立時から顧問に就任した塚本素山
・「対日工作四人組」の創価学会工作
・田中角栄と創価学会のねじれた関係
・アメリカのシンクタンクも創価学会を警戒
・『自治労の正体』森口朗
・『日教組』森口朗
・『ポリコレの正体 「多様性尊重」「言葉狩り」の先にあるものは』福田ますみ
1966(昭和41)年8月から9月にかけて公明党の二宮文造〈にのみや・ぶんぞう〉議員は参議院決算委員会で「虎ノ門国有地払い下げ問題」(田中彰治〈たなか・しょうじ〉衆議院議員が虎ノ門国有地の払い下げをめぐって起こした恐喝事件)に田中角栄(事件当時、大蔵大臣)が関与していた疑惑を執拗に追求しました。そして、田中を東京地検に告発する寸前まで追い込みます。
ところが、そのタイミングで創価学会の言論弾圧事件(1960年代後半から1970年代にかけて、創価学会、公明党が出版社や著者、書店、取次に圧力をかけ、みずからに批判的な書籍の出版、流通を妨害した事件)が発生。大手新聞社の追求を抑えるために創価学会は仲介役を田中に依頼しました。田中が大手新聞社の社屋建設のための国有地払い下げに便宜を図っていたことから、大手新聞社のトップには発言力を行使できたからです。
田中はその見返りに参議院での田中疑惑追求をやめるよう要求しました。創価学会側は田中の要求を受け入れ、「田中追求を断念するよう」二宮議員を説得。創価学会と田中との“手打ち”となりました。
公明党の結党が1964年(昭和39年)なので早くも創価学会の狙いが成果となって現れている。私は本書で初めて知った。いつの時代も政治的な関係は密談や密謀を通して距離を縮めてゆくのだろう。「お主も悪よのう」というわけだ。
塚本素山〈つかもと・そざん〉が8000万円の現ナマで有力者に藤原弘達の説得を依頼したことは既に紹介した(原島嵩が証言する言論出版妨害事件 その三)。こうした過程で田中角栄は創価学会本部に招かれて池田大作会長と会談する。田中は「しなやかな鋼だ。煮ても焼いても食えない」との印象を秘書の早坂茂三〈はやさか・しげぞう〉に語っている(自由民主党と創価学会の腐れ縁(2) ~田中角栄編 ~)。1968年(昭和43年)から田中と公明党は急接近する。宗教政党の中身は利権を代表する既成政党と何ら変わるところがなかった。
「田中が大手新聞社の社屋建設のための国有地払い下げに便宜を図っていた」との一文が光を放つ。大手新聞社に格安で国有地が払い下げされていた事実は知っていたが、田中角栄の口利きとは知らなかった。低迷する朝日新聞などは既に本業が不動産業となっているのだ。
