中国産のそら豆の皮は
— タンタンパパ (@tintinpapa1) May 29, 2026
こうやって剥いてるところも
あることを知ってから
冷凍そら豆はちょっと買えない💦 pic.twitter.com/dXwJ6LrrXx
私はピタゴラス教徒ではないが豆は避けている。決して嫌いなわけではない。むしろ好きなくらいだ。豆に毒があることを知ったのは数年前のことだ。10年前に玄米食を行ったことがある。「結わえる 寝かせ玄米」という高価なパックご飯を食べていた。
もともと粗衣粗食に甘んじてきたところがあるものの、健康に投資することが惜しいとは思わなかった。「健康のためなら死んでもいい」という言葉を藤原正彦が紹介していた影響もあった。50代も半ばに差し掛かると、病院の治療費と健康投資がトレードオフの関係になるのだよ。
新しい何かを始めた時は脳を縛るのが一番手っ取り早い。私は玄米本を10冊ほど読んだ。もちろんそれ以前に検索しまくっていた。仕事を除けば私の人生の1/3は調べものに費やされているといっても過言ではない。
「それほどでもなさそうだな」――これが結論だった。武田邦彦は「色々な論文を読みましたが、人間の消化器官では栄養素として取り込むことが難しい」と話していた。玄米に毒性があるのは知っていた。それゆえ発芽させて食べる人が多いのだ。
私の独創は単純な答えに辿り着いた。本当に玄米が健康によいのであれば、ご飯に糠(ぬか)を掛ければいいだけのことだ、と。マクロビオティックにさしたる興味はないのだが、陰陽の見方(体を温める、冷やす)は参考にしている。玄米は陰性で糠も確か陰性だと思った。ところが煎り玄米や煎りぬかは陽性になるのだ。
それから煎り玄米生活が始まった(笑)。28cmの鉄フライパンを軽々と振って4合の米を煎(い)る自分が誇らしかった(笑)。若い男性でもできる人は少ないと思うぞ。
数ヶ月後、歯医者に行く羽目となった。硬い煎り玄米を食べすぎたせいで、歯の詰め物が取れてしまったのだ。子供の時分から食べさせれば、噛みつき魔と呼ばれたフレッド・ブラッシー並みの歯を手に入れることができるだろう。
その後、船山馨〈ふなやま・かおる〉著『石狩平野』に決定的な件(くだり)が出てきた。戦時中であったと記憶しているが、一升瓶で玄米を搗(つ)くシーンが描かれていた。「!」――頭の中で電球が灯(とも)った。若い人はわからないだろうから一応説明しておくと、一升瓶の中に玄米を入れて棒で搗(つ)くのだ。つまり、簡易精米。戦前だと珍しいことではなかった。では、なぜわざわざそんな面倒な真似をするのか? 答えは簡単だ。「玄米が不味(まず)いから」だ。
「良薬は口に苦し」という。人間の味覚は毒を苦味(にがみ)として検知する。毒をもって毒を制するのが薬の作用だ。つまり、「不味い」というのも毒性を探知した結果であると考えられよう。味覚が敏感な子供たちがピーマンを嫌う理由は、大人よりも苦味を敏感に感知しているからなのだ。「体にいいから」という根拠のない大人の思い込みで、児童の感覚を否定するのは誤っている。
その後、大豆毒の詳細を知り、私の確信は動かぬものとなった。納豆の歴史は古く、縄文時代から弥生時代にかけてといわれる。味噌が流通し始めたのは鎌倉時代で、醤油は更に下る。なぜ古人は大豆をわざわざ手間をかけて納豆や味噌にしたのだろうか? それは毒があるからだ。発酵という腐敗過程は解毒工程でもあったのだ。
という流れがあって、1~2週間ほど前から突如として、「余生を糀(こうじ)作りに捧げよう」と決めた。ま、なんとなくそう思っただけなんだけどね(笑)。


