少し前に大前プジョルジョ健太(母親がインドネシア人)を知り、「TBSにこんな人材がいたのか」と驚かされた。脱力系で妙な面白味があって目が離せない。でありながら、やってることは命懸けの撮影なのだ。TBSも「何となく辞めた」という。自分が退職する様子を隠し撮りしていたのがバレて、辞めざるを得なくなったのだ。石丸伸二が「弱者の代弁を声高に主張して」と批判しているのは、直近のReHacQ記者会見に登場した鈴木エイトのことである。
悟りには8段階がある
・悟りには8段階がある
そもそも、ブッダとは、「目覚めた〔者〕」という意味のインド語であり、「目覚める」という意味の自動詞の過去分詞である。自動詞である以上、彼の「目覚め」は対象を持たない。
ただし、実のところ、仏教文献においては、ブッダやその後継者たちは、明らかに、ある対象を知見して聖者となっている。
まず、部派仏教においては、聖者として、預流(よる)、一来(いちらい)、不還(ふげん)、阿羅漢(あらかん)という4段階がある(阿羅漢はブッダの異称でもある)。細分すれば、4段階のいずれについても、向(こう/〔その段階へ〕向かいつつある者)と果(〔その段階を〕結果としている者)との二つがあるから、結局のところ、四向四果(しこうしか)がある。
【『「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々』大竹晋〈おおたけ・すすむ〉(新潮選書、2019年)】
昨今出回っている悟り本は預流果(よるか)の経験を綴ったものが大半である。まったく羨ましい限りである、などと思っているうちは悟りから遠ざかることを弁えておく必要がある(笑)。
「対象を持たない」とは、何かに目覚めるのではなく、朝起きる時のように覚醒するという意味だ。
本書によれば、ブッダが弟子や信者の悟りを認定することを「授記」(じゅき)としている。将来の成仏を約束するものじゃなかったのね。
尚、仏道の目的である解脱(げだつ)とは一切の執着から離れて涅槃(ねはん/ニルヴァーナ)に至ることだが禅定には八つの段階がある。
初禅 → 第二禅 → 第三禅 → 第四禅 → 空無辺処 → 識無辺処 → 無所有処 → 非想非非想処 → 滅尽定(滅尽定とニルヴァーナ)
最後の「滅尽定」が解脱と考えていいだろう。「八解脱」(「ブッダ伝」第17章 ウッダカ仙人にも学ぶ)という言葉もあるようだ。
涅槃とは「吹き消す」意である。つまり悟りの段階とは煩悩が消えてゆく様相を示すもので「生命の自由度」を表している。
デレク・シヴァーズ「社会運動はどうやって起こすか」
・デレク・シヴァーズ「社会運動はどうやって起こすか」
・『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』マルコム・グラッドウェル
・『複雑な世界、単純な法則 ネットワーク科学の最前線』マーク・ブキャナン
・『新ネットワーク思考 世界のしくみを読み解く』アルバート・ラズロ・バラバシ
旧ブログ【2010-06-24】より転載。書くネタはいくらでもあるのだが、たまたま見つけたので。マルコム・グラッドウェルの単行本『ティッピング・ポイント いかにして「小さな変化」が「大きな変化」を生み出すか』を新書化するにあたり、『急に売れ始めるにはワケがある ネットワーク理論が明らかにする口コミの法則』と改題したのは、SBクリエイティブのセンスのなさを雄弁に物語っている。ま、ソフトバンク系列らしいと言えばそれまでのこと。
ティッピングポイントとは後戻りできない(不可逆的な)臨界点を突破した時に使われる言葉だ。スマホやSNS、あるいはLINEなどが登場する前後を知る人なら実感できよう。私なんぞは携帯電話も最後の方で買った部類だし、LINEは仕事で必要になるまで使わなかった。
一定の閾値(いきち)を超えると流行は一気に加速するのだ。創価学会で言えば75万世帯が達成されれば、300~750万世帯は将棋倒しのように進むと考えてよい。ただし、750万世帯は述べ世帯数なので、実態は250万世帯程度と指摘する声が多い(原島、福島など)。
確か『完全教祖マニュアル』でも紹介されているように記憶している。これを学術的なアプローチで読み解いているのがネットワーク科学だ。フォロワー=コネクター(ハブ)である。このネットワークが「弱いつながり」であるというのがミソ。
お金はうんこのようなもので、教祖は便器のようなもの
・お金はうんこのようなもので、教祖は便器のようなもの
・デレク・シヴァーズ「社会運動はどうやって起こすか」
・『サバイバル宗教論』佐藤優
・『日本人のための宗教原論 あなたを宗教はどう助けてくれるのか』小室直樹
つまるところ、宗教的寄付というものの本質は「自分のために行うもの」なのです。だから、(※これから教祖になる)あなたもむしろ奉仕の気持ちでお金を受け取るべきでしょう。お金はうんこのようなもので、教祖は便器のようなものなのです。
旧はてなブログ【2011-11-23】より転載。「ヒップホップで学ぶ日蓮」で本書を知った。手っ取り早く宗教を理解したいのであれば、本書と小室本だけ読めば十分お釣りがくる。むしろ余計な情報は邪魔になると思われる。特に歴史や教義の罠に引っ掛かると些末(さまつ)な知識ばかり増えて本質を見失う。
これほどの高い説明能力に出くわすと、宗教を学ぶことの無駄を思い知らされる。あれはね、一種の言語ゲームなのだよ。それを単純に図式化したのが本書なのだ。「目次」を丹念に読むだけでも多くのヒントがあって知的昂奮が掻き立てられる。