斧節

混ぜるな危険

喧嘩の作法

・『逝きし世の面影渡辺京二
・『シドモア日本紀行 明治の人力車ツアー』エリザ・R・シドモア
・『イザベラ・バードの日本紀行イザベラ・バード

 ・喧嘩の作法

・『覚書 幕末の水戸藩山川菊栄
・『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』内田義雄
・『武士の娘杉本鉞子
・『ある明治人の記録 会津人柴五郎の遺書』石光真人
・『守城の人 明治人柴五郎大将の生涯村上兵衛
・『國破れてマッカーサー』西鋭夫

 この石川さん夫婦は烈公以前の哀公時代、すなわち文化文政の、のんびりした華やかな時代に青年期を送り、芝居も遊芸も自由に楽しめた時代に育った人でした。したがって芸ごとにも明るく、人柄ものびのびしていました。とはいってもこのおじいさんはただの好々爺(こうこうや)ではなく、きかん気で有名な人だったのです。この人がまだ若い自分たいそう威張りやで意地悪の役人があり、新参の下役をコキ使ったり、苦しめたりして嫌われていました。その人の下役にこのおじいさんがなった時には、さてあのきかん気の石川が無事にすむだろうか、とみな心配しました。間もなく、その意地悪の上役と石川さんとが一所に御殿に宿直することになりましたが、翌朝、上役は例の通り、いばりくさって、石川さんに洗面のお湯をもってこいと命じました。持ってきたお湯は、いつもやかましくいうことですから、熱からず、ぬるからず、ちょうどいい加減のものと思ったのでしょう、上役はいきなり両手を突込みました。ところがグラグラ煮立っていたのですから堪りません。
 「アツツ」
と叫んで取り出した両手はただれたように赤くなっています。すると傍で見ていた石川さんは、
 「ヤアやけどか、やけどなら灰がいい」
というかと思うと、いきなり火鉢の灰をパッとかぶせました。居合わせた者は気をのまれて声も立てず、やけどの上に灰まみれになった相手も、大男で力持ちの石川さんが仁王立ちになっているのを見て、刀をぬこうともしませんでした。その上役にはみな困りぬいていたこととて、一人の同情者もなく「石川はよくやった」、「石川でなければああはできない」などという者ばかり。石川さんは何のお咎(とが)めもなく他の役に転勤を命ぜられて、その意地悪の上役とは無関係の地位におかれただけ、儲(もう)けものをしたのでした。このことがあってから、身分はいたって低いのでしたが、石川富右衛門といえば誰知らぬ者もなくなったそうです。


【『武家の女性』山川菊栄〈やまかわ・きくえ〉(三國書房、1943年/岩波文庫、1983年)】

 山川菊栄は左翼であるが、江戸の風俗を見事に描き切った内容で味わい深い。まして母方の水戸藩にまつわる生活史となれば、反薩長の私としては読まずにいられない。

 喧嘩の作法はかくあるべし。周囲から喜ばれる喧嘩こそが正しい喧嘩であり、私憤に駆られた怒りは身を滅ぼす結果となりやすい。また喧嘩は早まってはならない。ここぞというタイミングがあるのだ。

 日本人は忍耐強いことで知られるが、堪忍袋の緒が切れると手がつけられなくなる民族性がある。古来、傭兵といえばネパールのグルカ兵が最強と位置づけられているが、そのグルカ兵が唯一恐れたのが日本兵であった。