斧節

混ぜるな危険

柔術の大乗化=柔道

・『雷電本紀飯嶋和一
・『日本の弓術』オイゲン・ヘリゲル
・『鉄人を創る肥田式強健術』高木一行
・『肥田式強健術2 中心力を究める!』高木一行
・『古武術の発見 日本人にとって「身体」とは何か養老孟司甲野善紀
・『表の体育裏の体育 日本の近代化と古の伝承の間(はざま)に生まれた身体観・鍛錬法甲野善紀

 ・柔術の大乗化=柔道

・『惣角流浪今野敏
・『鬼の冠 武田惣角伝津本陽
・『孤塁の名人 合気を極めた男・佐川幸義津本陽
・『深淵の色は 佐川幸義伝津本陽
・『透明な力 不世出の武術家 佐川幸義』木村達雄
・『佐川幸義 神業の合気 力を超える奇跡の技法』『月刊秘伝』編集部編
『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』増田俊也

 それが何で「武道」というふうになったかというと、【講道館嘉納治五郎〈かのう・じごろう〉初代館長】、あの柔道の創始者が、「術」という、小乗的な世界を脱して、「道の大乗」ということを主張し始めて、「柔道」と名乗られた。そして、それからは滔々(とうとう)として、皆、それを見習って、剣道だ、空手道だ、合気道だ、道、道と言いだして、その格付法も講道館に倣って、初段とか2段とか、段位制をとりだしたんです。(中略)
 でもそうなって、精神論が罷(まか)り通るようになってから、「勝つのが目的じゃなくて、精神の修養こそが大切だ」ということが、盛んに言われはじめました。そしてそれが本当にそうならいいのですが、どうやら単なる未熟な技術の言い訳として、使われるようになっている傾向が多いのです。


【『武術の新・人間学 温故知新の身体論』甲野善紀〈こうの・よしのり〉(PHP文庫、2002年/PHP研究所、1995年『武術の新・人間学 失われた日本人の知恵とは』改題)】

 大乗化された柔道はスポーツ柔道となり、オリンピックの正式種目にまでなった。柔術からの変遷が仏教の移り変わりとダブって興味深い。

 もともと柔術は鎧兜(よろいかぶと)で闘うことを前提としており、当て身(パンチ)を始め、関節技で敵の骨を折り、関節を破壊し、絞め技で息の根を止める技術であった。そこから危険な技を禁じて、競技に変えたのが講道館柔道であった。そしてスポーツ柔道はポイントを争うチマチマした競技に堕してしまった。

 武田惣角〈たけだ・そうかく〉や佐川幸義〈さがわ・ゆきよし〉の「合気」は悟りの域に近い。他人が真似ることは不可能で、数十年の稽古を経ても習得できない。しかも両師とも亡くなる寸前(武田は82歳、佐川は95歳)まで弟子たちを投げ飛ばし、とても敵(かな)うレベルではなかった。

 武術において師匠が弟子に技を教授することはない。ただ見せるだけである。武術は殺し合うための技であり、秘技が知られると自分がやられる可能性がある。一子相伝の伝統の背景にはこうした発想が込められている。

 まだ昭和期には偉大な武術家が存在した。武術は人体が秘めている不思議な力を発揮する技であった。

 江戸時代には1日で200~300kmも走る「早足」の人物がいた(本書)。山形県庄内地方の「女仲仕」は米5俵(300kg)を担いだ(庄内地方の女性が米俵を5俵担いだというのは本当か? | KAMUYAI)。文明が発達してない時代には自ずと体の智慧が目覚めたのだろう。

 悟りから離れた北伝仏教はスポーツ柔道と酷似していると思うがどうか?

江戸という社会は老いに価値をおいた社会であった