斧節

混ぜるな危険

江戸という社会は老いに価値をおいた社会であった

『お江戸でござる』杉浦日向子
『すらすら読める 養生訓』立川昭二

 ・江戸という社会は老いに価値をおいた社会であった
 ・心養生

・『養生訓貝原益軒松田道雄
・『養生訓・和俗童子訓貝原益軒:石川謙校訂

 与謝蕪村に、「とし守(もる)夜(よ)老(おい)はたうとく見られたり」という句があるが、江戸という社会は、ある意味でいうと、老いに価値をおいた社会であったといえる。それにたいし現代の日本は若さに価値をおいた社会といえる。エネルギーやスピードや大きさに価値をおいた社会である。それは力や量の論理であり、若さの文化と言い換えることもできる。
 江戸にはエネルギーやスピードといった価値や、力や量といった論理はなかった。暮らしは自然のリズムにそって流れていたし、人も物もゆっくりと動いていた。人がその一生で蓄えた知恵や技能がいつまでも役に立った。そうした社会は年寄りの役割が厳然としてあり、また社会しのものが年寄りのゆっくりとした動きをしていた。今いうところの情報も若者より老人のほうが豊かであった。
 江戸に生きていた人は今日とちがって人生の前半より人生の後半に幸福があった。「老いが尊く見られた」江戸時代、現代人の最高の願望である「若返り」という思想はなかった。
 今日超高齢社会の日本では、「老」という字がなぜか嫌われている。それに対し、江戸時代は、武家たちは重役のことを「家老」といい、幕府では「大老」「老中」などといっていた。「老」は年老いた高齢者という意味だけではなく、尊崇される対象であった。


【『養生訓に学ぶ』立川昭二〈たつかわ・しょうじ〉(PHP新書、2001年)】

柔術の大乗化=柔道」に関連して本書を紹介する。

 スポーツとは異なり、武術の技は老いて尚進化する。合気の達人・佐川幸義〈さがわ・ゆきよし〉は70代になって新境地を開いた。95歳で死すまで鍛錬を怠ることなく、合気を追求し続けた。その佐川が「私が知ったのは合気の3分の1程度に過ぎない」と語った。凡人が辿り着けぬ高所を征(ゆ)く人ならではの言葉である。

 私は間もなく還暦を迎えるのだが、政治家や大きな組織の管理職は「50代前半までだろうな」と実感した。体力と同時に知力の衰えが露(あら)わになる年頃だ。酒をやめてから高血圧になったこともあって、50代から積極的にサプリメントを活用している。運動も不定期で行っており、それから意識に靄(もや)がかかったような状態は免れた。

 若い時分から私は積極的に功労者と親しく接し、指導を受けてきた。どの方も「老いて矍鑠(かくしゃく)」を地(じ)で行くような姿で、弱さや惨めさとは全く無縁であった。「小野君!」と声が掛かれば、襟を正して参上した。私の手に余る悩みを抱えた後輩を何人も連れて行っては、懇切かつ厳正な指導をしていただいた。「小野君、どうなってるんだ!」と私が叱られることもしばしばだった。

 気合いの入り方がまるで違った。うるさ型で鳴る私ですら小さくなった。広布の至宝とも言うべき存在であった。どれほど多くの人々が救われたことか。

 世間では老いが尊く見られることはない。醜さの象徴であればこそ、アンチエイジングなんぞが流行するのだろう。馬鹿丸出しだよ。加齢に逆らうことができるのは筋肉だけなのだ。内面が貧しいからこそ外面を気にするのだろう。

 私は古いタイプの人間なので、高校の授業で聞いた「長幼序あり」を重んじている。それは歴史に対する敬意でもあると考えている。