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坐法に関する覚え書き

 ・坐法に関する覚え書き

マントラに関する覚え書き

 日蓮が正坐をしていないことに気づいたのは20年ほど前のことだ。研鑽板(創価法研掲示板)の書き込みで知った。私は吃驚(びっくり)仰天した。直ちに検索した。正坐は畳とセットになっている。「畳が部屋全体に敷き詰められるようになったことで、室町時代ごろから日本独自の正座が一般的になりました」(畳の歴史を知ろう!時代別にみる畳の使われ方を紹介 | 畑畳店)。「しかし、一般庶民に畳が普及したのは江戸時代中期以降」(畳 - Wikipedia)である。

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 まず問題なのは「正坐」というネーミングである。これによって正坐が「正しい坐法」と我々は思い込んでしまった。ちょっと考えればわかることだが、ブッダが正坐をしたことはないだろう。合気道家の岡本眞〈おかもと・まこと〉によれば、「正坐は中国春秋時代に暗殺防止のために編み出された礼法」だという。

 因みに「坐」はすわる動作を、「座」はすわる場所を示す。

 既に書いた通り、胡坐(こざ/あぐら)には悪い印象がある。呑気に構えて努力しないことを「あぐらをかく」と表現する。また、正坐から胡坐に変える場合、「足を崩す」という。(こ)の国から伝わったがゆえに胡坐と書くわけだが、ひょっとすると胡=アラブ世界の可能性もあるように思う。砂地では自然な坐法であるからだ。

 ヨーガでは坐法を「アーサナ」という。仏教の二大潮流は中観派唯識派だが、唯識派の正式名称は瑜伽行唯識派で、瑜伽(ゆが)=ヨーガである。ヨーガはインド宗教全般を貫く基本的な行法といってよい。

 山折哲雄〈やまおり・てつお〉が『「坐」の文化論』(佼成出版社、1981年)の冒頭で、「坐の文化、立の文化」と題して西洋では立像が多く、東洋では坐像が多いことを指摘している。古い本なので致し方ない側面もあるのだが、環境的な視点を欠いていて「ちょっとなー」との印象が拭えない。欧米は寒いのだ。そのため床で生活できず椅子が必需品となり、家の中でも靴を脱ぐことがない。こうした生活スタイルから足首の関節が硬くなり、しゃがむ姿勢や正坐ができないのである。日本と同じ温暖湿潤気候はアメリカのフロリダくらいしか見当たらない。

 私が通っていた高校には格闘技という授業があり柔道とレスリングを履修した。質実剛健を旨(むね)とする武張(ぶば)った男子校だったのだ。柔道の最初の授業で「正坐は足を組むな」(足の甲を重ねない)と習った。それから勤行の際に組まないようにしたのだが慣れるまで数ヶ月かかった。40代になってからは、踵(かかと)をなるべくくっつけるように心掛けた。正坐のコツは背筋を伸ばすよりも、骨盤を起こすことだ。

 ところが、である。岡田式静坐法だと「足は組む」となっている。試しにやってみたのだが、もうできないよ(涙)。あまりの痛さに悲鳴を上げそうになったほどだ。

 では、胡坐(こざ)について述べよう。大きくは三つで、結跏趺坐(蓮華坐)・半跏趺坐(菩薩坐)・安座である。少々ややこしい話となるが、厳密には胡坐(あぐら)と安座は異なる。胡座は片方の踵を反対側の太腿の下に入れるが、安座の場合は入れない。岡本眞が語った「赤ちゃん坐り」である。次に半跏趺坐だが、個人的には達人坐の方がオススメだ。片方の踵を会陰に押しつける坐法である。そして結跏趺坐は左脚を上にする。悟った後は右脚を上にするのが作法である。仏像もそうなっている。

 坐法は行儀の問題ではなく、チャクラの活性化を目指したものだ。堅苦しく考える必要はないが、甘い考えも禁物だ。

 結跏趺坐で骨盤を起こすのは難しいため、坐禅では坐蒲(ざふ)を用いる。正坐や結跏趺坐は意図的に足を固めることで安定した姿勢を作る。最初は苦しいが、今も苦しい(笑)。

 瞑想は結跏趺坐でも正坐でもよい。正坐については大正期に一大ブームを巻き起こした静坐法(岡田式静坐法・藤田式息心調和法・二木式複式呼吸法)が参考になる。

西洋とは捉え方が真逆だった? 日本人の「座る」の歴史 | Tarzan Web(ターザンウェブ)