斧節

混ぜるな危険

量子力学が示す生死

・『「量子論」を楽しむ本 ミクロの世界から宇宙まで最先端物理学が図解でわかる!佐藤勝彦監修
・『黒体と量子猫』ジェニファー・ウーレット
・『宇宙は「もつれ」でできている 「量子論最大の難問」はどう解き明かされたか』ルイーザ・ギルダー
・『量子が変える情報の宇宙』ハンス・クリスチャン・フォン=バイヤー
・『すごい物理学入門』カルロ・ロヴェッリ

 ・量子力学が示す生死

 ハイゼンベルクに端を発する着想に、ここで立ち返ってみよう。量子力学は、過程の最中になにが起こるかは教えてくれない。量子力学が示すのは、過程の始まりと終わりで生じうるさまざまな状態を結びつける確率である。今回の場合では、過程の始まりと終わりの状態は、時空間の「末端」で起きるすべての事象によって定義づけられる。


【『すごい物理学講義』カルロ・ロヴェッリ:竹内薫〈たけうち・かおる〉監訳、栗原俊秀〈くりはら・としひで〉訳(河出書房新社、2017年河出文庫、2019年/原書、2014年)】

「物質の理(ことわり)」を追求した人類の叡智は相対性理論量子力学にまで辿りついた。ガリレオ・ガリレイが自作の望遠鏡を天空に向けた瞬間、音を立てて近代科学の扉は開いた。「ガリレイの相対性原理」がアインシュタインの出発点であった。

 ガリレオは69歳で宗教裁判にかけられ終身刑の判決が下った。翌年には彼を看病していた長女を喪う。更に70代で両眼を失明した。それでも研究に対する彼の情熱は冷めることがなかった。弟子と息子に口述筆記をさせた。最晩年には振り子時計を発明している。そしてガリレオが逝去した翌年(1643年)、あのアイザック・ニュートンが生まれるのである。

 宇宙というマクロスケールにおいてニュートン力学は通用しない。それまで絶対と思われていた空間と時間が実は歪んでいた。アインシュタインは空間と時間の相対性を解き明かした。相対性理論ブラックホールの存在や宇宙の膨張まで予見した。

 一方、ミクロスケールでは信じ難い世界が広がっている。原子構造は長らく太陽系のようなモデルであると考えられてきた。ところが原子核の周りを回る電子のエネルギーは消えたり現われたりを繰り返してつかみどころがない。こうした連続性のない飛び飛びの状態を「離散的」という。

 量子力学を安易に援用する擬似科学スピリチュアリズムが掃いて捨てるほど存在する。科学知識をまぶせば大衆はころっと騙せると考えているのだろう。

 とは言うものの、私は上記テキストを読んだ瞬間に閃(ひらめ)きの神が舞い降りてくるのを見た(ウソ)。“時空間の「末端」”がわかりにくいと思うが、これはループ量子重力理論を巡る議論のこと。

 電子は相互作用によって現れる。つまり何らかの関係性がある時にだけ顔を見せるのだ。「過程の始まりと終わり」とは生と死である。そして「過程の最中になにが起こるか」はわからない。ここに諸法無我をはめ込んでみよう。我(が)という存在がなければ、「私という現象」は人や世界と関係性をもった時にしか現れない。つまり他人からすれば私は離散的な状態なのだ。愛し合う二人が休日をずっと一緒に過ごしていたとしても、トイレに行く時は一人である。また、ずっと見続けていることはできない。つまり消えたり現われたりしているわけだよ。

 ところが私は自分に連続性があると信じている。物理的には体の細胞が常に入れ替わっているのだから、連続性は脳=心にあることがわかる。一日を終えた時、完全に死ぬことは可能だろうか? なぜ我々はそれができないのか? 過去の悩みや迷いを引きずりながら生きるところに人間の不幸があるのだろう。

三国志演義』に「男子、三日会わざれば刮目(かつもく)して見よ」とある。たった三日間でも見違えるほど成長することがあるのだ。そのためには今までの自分を死なせる必要がある。完全な生は完全な死をはらんでいる。「今日を生きて、明日は死ぬ」との覚悟が人生を輝かせることだろう。幽霊とは中途半端に生きて中途半端に死んだ状態を意味する言葉だ。