斧節

混ぜるな危険

ブッダの遺言~自らを島とし、杭とせよ(自帰依・法帰依)

 ・ブッダの遺言~自らを島とし、杭とせよ(自帰依・法帰依)

ブッダの遺言「自らをよりどころとし、法をよりどころとせよ」~自灯明・法灯明は誤訳
中村元

 アーナンダよ。私はもう老い朽ち、齢を重ね老衰し、人生の旅路を通り過ぎ、老齢に達した。わが齢は八十となった。例えば古ぼけた車が革紐の助けによってやっと動いて行くように、恐らく私の身体も革紐の助けによってもっているのだ。(中略)
 それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。


【『ブッダ最後の旅 大パリニッバーナ経』中村元〈なかむら・はじめ〉訳(岩波文庫、1980年)】

「島」とは砂洲(さす)のことである。すなわち大河の氾濫(はんらん)にも流されないことを意味する。我々にとっては杭(くい)の方がわかりやすいだろう。この画像を見ながらブッダの遺言を思った。「依法不依人」(法四依のひとつ)の原典である。

 ブッダは自分亡き後のサンガについて憂(うれ)えただろうか? 後に根本分裂に至ることを見据えていたのだろうか? あるいは自分の教えが捻(ね)じ曲げられ、数百年後に経典が創作され、儀式や信仰にまみれることを予想していただろうか?

 そんなものは何ひとつ関係ない。なぜなら、悟りは現在性において完結しているからだ。悟った人物に過去や未来は意味を成さない。記憶や期待とは完全に無縁なのだ。その意味で「今日から明日へ」というのは世俗的な考えで、日蓮マンダラに書かれた「現当二世」ですら悟りから乖離(かいり)している。現世安穏は正しいが後生善処は誤っている。私が法華経を信じない理由もそこにある。