斧節

混ぜるな危険

意識のマップ

死別を悲しむ人

 ・意識のマップ

『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃

「絶望」と「憂うつ」はパワーに欠けていて、マップの一番下のゾーンに属していますが、それらを含む200以下のレベルでは、自分が生き残るためだけに自分のパワーが使われています。それよりは高いレベルに位置している「恐怖」と「怒り」も、自分が生き残るために生じる衝動として、特徴づけられるものです。プライドのレベルにおける生存への動機は、他者の生存に対する理解へと広がるでしょう。
 ネガティブなレベルから「勇気」の影響を受けるポジティブへの臨界点を越えると、他人に対してよき人間であることが重要となります。500レベルにおいては、他人の幸福が不可欠な原動力となって現れます。500レベルの高い位置では、自分自身と他の人間のスピリチュアルな目覚めに関心を持つことが特徴です。600では人類のためになることや、エンライトメント(悟り)が第一目標となります。700~1000はすべての人類救済に人生を捧げます。


【『改訂版 パワーか、フォースか 人間の行動様式の隠された決定要因』デヴィッド・R・ホーキンズ:エハン・デラヴィ、愛知ソニア訳(ナチュラルスピリット、2018年/旧版、三五館、2004年/原書、1995年)以下同】

 キネシオロジー筋肉反射テストを通して人間の意識レベルを測定することが可能だという。本当だろうか? わからん。だが、ゴルバチョフマザー・テレサの名前が出てくる。著名人が評価しているのだから信じ給え、ということか。

 スピリチュアル系では結構有名な書籍だ。私は「現代的な十界論」と受け止めた。


【意識のマップ】

 尚、これらの数字は対数となっている。勇気200は恐怖100の2倍ではない。ともに10の乗数で、勇気は10の200乗、恐怖は10の100乗を示す。要は一段階ごとの違いが桁外れというわけだ。基準は勇気200で「人界」に該当する。

エネルギーレベル 75:深い悲しみ


 このレベルは悲しさ、損失、依存に関係しています。人は誰でも一時期このレベルを経験しますが、このレベルに固定されてしまうと、絶えず続く後悔の中でうつ病のような生活を送ってしまいます。これは、過去に関する悲しみや死別、後悔のレベルです。
 何かにつけて常に負けることを経験する人や、負けることが当たり前になっているギャンブル依存症のレベルでもあります。時として、仕事や友人、家族、チャンスなどを失ったり、同様にお金と健康も失うことがあります。
 人生の早い時期に大きな悲しみを経験すると、成長するにつれて「人生とは悲しみだ」という境地にとらわれるようになります。子供を見ても、人生そのものを見渡しても(いや、何を見ても)悲しみに支配されるので、人生が「悲しみ」に色づけられてしまうのです。
「深い悲しみ症候群」になると、世界がそれ一色に覆われてしまうので、たとえば愛する人を失うことが、愛そのものの損失と同一視されます。このレベルでは、そのような感情的な損失が、深刻なうつ病や、死の引き金となるかもしれません。

 身も蓋(ふた)もない言い方をすれば、思考は大脳皮質の反応であり、感情は大脳皮質+辺縁系の反応である。感情の方が脳の深部から発生するためコントロールが難しい。また、男性と比べて女性の方が感情的な傾向がある。これは別にいいとか悪いの問題ではない。

 例えば、今日「余命3ヶ月」と医師から宣告されたとしよう。ほぼ万人が「深い悲しみ」に襲われることだろう。微動だにしないのは悟った人物だけだ。極限状況を想像すれば、我々が日常で望む幸福など吹き飛んでしまう。

 エリザベス・キューブラー=ロス女史(『死ぬ瞬間 死にゆく人々との対話』1971年)によれば死の受容のプロセスは5段階で変遷(へんせん)する。

・否認・隔離――自分が死ぬということは嘘ではないのかと疑う段階である。
・怒り――なぜ自分が死ななければならないのかという怒りを周囲に向ける段階である。
・取引――なんとか死なずにすむように取引をしようと試みる段階である。何かにすがろうという心理状態である。
抑うつ――なにもできなくなる段階である。
・受容――最終的に自分が死に行くことを受け入れる段階である。

 自我の動きが端的に現れている。思考+感情=マインドである。通常、「心」と考えられているのはマインドだ。それは癖や慣性に支配されている業(ごう)でもある。自我とは業の異名なのだ。

 ところが思考や感情に「気づいている」視点がある。深い哀しみに打ちひしがれている時も、哀しむ自分に気づいている。これがサティ(気づき)である。「念」とも訳す。「心の師とはなるとも心を師とせざれとは、六波羅蜜経の文なり」(諸法非我)とは、心の動きに気づく視点を示したものだ。

 十界論は現在の生命状態を十界と「気づく」ことを説いているのだ。

 悲しい時は、その悲しさに気づけばいい。ただし、何らかの依存があれば悲しみを引きずり、こじらせてしまう。これを迷いと名づける。

 尚、キネシオロジーは、ジェフリー・ディーヴァーキャサリン・ダンス・シリーズで描かれるキネシクス(動作学)とは別物だ。