斧節

混ぜるな危険

日本基督教団信濃町教会

『望郷と海』石原吉郎
『石原吉郎詩文集』石原吉郎

 ・日本基督教団信濃町教会

 石原吉郎が所属していた教会が信濃町教会だと最近知った。創価学会本部に隣接している教会だ。また、石原のエッセイが1970年代に全共闘世代から支持されていた事実も今まで知らなかった。

 この頃、石原吉郎はよくひとりで鎌倉へ出かけて歩きまわっていた。特に好んだのは、昔の面影が色濃く残る北鎌倉で、なかでもよく訪れたのが、鎌倉五山の中でも最古を誇る寺で、苔むしたやぐら(洞窟)に、北条政子源実朝の墓がある寿福寺だった。


【『内なるシベリア抑留体験 石原吉郎・鹿野武一・菅季治の戦後史』多田茂治〈ただ・しげはる〉(社会思想社、1994年/文元社、2004年)※社会思想社版は「シベリヤ」となっている】

 これを読んで私は二度寿福寺へ足を運んでいる。北鎌倉は古道が残っており、山の空気と潮の香りが入り混じり、心地よい光と影が印象に残っている。

 若い頃、幾度となく歩いた信濃町の道を石原も歩いていたのだ。その空間の一致に静かな驚きを覚えた。石原は何を思い、教会を目指したのか。戦前と戦後では心境が隔絶していたことだろう。はたまた鹿野武一〈かの・ぶいち〉の死を悼(いた)んだ日もあったに違いない。

 旧処や史跡が不思議な感慨を興すのは歴史を隔てて「同じ場所」に居合わせることから想像力が飛翔するためか。二処三会(にしょさんね)の虚空会はそれを表現したものだろう。時代を経ても人間と人間が出会うことがあるのだ。