斧節

混ぜるな危険

「一隅を照らす」は誤り

 いやあ、びっくりした。

「一隅を照らす」という誤った標語を天台宗はなぜ使い続けるのでしょうか。
伝教大師の山家学生式の「国宝とは何か」の回答として「一隅を照らす」ではなく、「千里を照らす(照千一隅)」が正しいというのが学問的に確定しています。
伝教大師は、隅っこに照らす小人物ではなく、千里に影響を与える大人物こそ重要といっているのです。全く祖師と逆のことを、平気で標語にしています。
「古人曰く」とは、天台教学では避けて通れない湛然のことを指し、天台宗を語っていながら、何らその勉強すらしていないことを、世にさらしました。
このようなことが起こるのは、天台宗密教化し、本来の法華経を忘れたからであり、煩悩まみれである証拠ではないでしょうか。


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 ただ、「于」ではなく正しくは「千(せん)」で、「一隅を守り、千里を照らす。 これ則ち国宝なり」で、上記は誤読であるとの説が有力。こちらだと、「(一人ひとりが)自分のいる場所をしっかり守れば、それが国全体を照らす。これが国の宝である。」というような意。


一隅を照らす

「千里を照らす」説に分がある。千年来の誤読を正したのは、昭和40年代、木村周照師と薗田香融博士である。両氏が指摘するように、最澄真筆の写真版を見ると、明らかに「照千一隅」であり、両氏は、この言葉の出典が荊渓湛然著「止観輔行」であり、さらにそれは『史記』の「田敬仲完世家」に遡ることも明らかにされた。また、最澄が山家学生式を書いた時代背景や状況に照らすと「照千」が正しいことが分かる。


一隅を照らす人、千里を照らす人 ~最澄「山家学生式」における「照于一隅」説と「照千一隅」説について~ 井上宏

 一隅を照らすだけではダメなのだ。一隅から千里を照らすこと。まさに比叡山を都の艮(西北)に拓いた最澄の思いであっただろう。


「一隅を守り、千里を照らす。これ則ち国宝なり(照千一隅此則国宝)」 | Bontaka@GERのブログ

 一部にはこれまでの解釈を容認する向きもある。素直に過ちを認めた方がすっきりすると思うのだが。

「一隅を照らす」比叡山延暦寺で考える伝教大師・最澄の教え – Ökumene/abs

 過去を正当化する精神がブッダの精神に違背していると考えるがどうか?