斧節

混ぜるな危険

三島由紀夫の遺言

 ・三島由紀夫の遺言

・『三島由紀夫が死んだ日 あの日、何が終り 何が始まったのか中条省平
・『三島由紀夫の死と私西尾幹二
・『昭和45年11月25日 三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃中川右介
・『三島由紀夫と「天皇」小室直樹
・『日本の名著27 大塩中斎』責任編集宮城公子
・『F機関 アジア解放を夢みた特務機関長の手記』藤原岩市
・『自衛隊「影の部隊」 三島由紀夫を殺した真実の告白』山本舜勝

 私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。
 このまま行ったら「日本」はなくなってしまうのではないかという感を日ましに深くする。
 日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済大国が極東の一角に残るのであろう。


【果たし得てゐいない約束――私の中の25年:〈初出〉サンケイ新聞(夕刊)・昭和45年7月7日
 私の中の二十五年〈初刊〉「蘭陵王」・新潮社・昭和46年5月
『決定版 三島由紀夫全集 36 評論11』三島由紀夫(新潮社、2003年)
『文化防衛論』(ちくま文庫、2006年)】

 三島事件が昭和45年11月25日のこと。約4ヶ月前のエッセイだが遺言といってよかろう。私は心を鷲掴(づか)みにされた。

 戦後民主主義平和憲法で歴史を漂白され、国防を蔑(ないがし)ろにして経済一辺倒で突き進み、バブルが弾けるや否やデフレを払拭できずに20年もの時をいたずらに過ごした(失われた20年)。

 北朝鮮による日本人拉致問題は30年以上も手つかずだった。自国民が誘拐されても何もできない国が独立した国家と言えるだろうか? 社民党や左翼知識人は「拉致被害はデマだ」と北朝鮮を擁護し続けた。自民党も長らく沈黙を続けた。「第二のシベリア抑留」と言ってよかろう。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」(日本国憲法前文)。

「平和を愛する諸国民の公正と信義」は既にない。中国共産党ウイグル人の大量虐殺を実行し、ロシアはウクライナを侵攻し、北朝鮮拉致被害者を返すことなく、韓国は反日教育を続けている。大体、諸外国の顔色を窺いながら「決意」するのもおかしな話だ。

 日々繰り返される中国船の領海侵犯や、中ソの領空侵犯が報じられても、国民は平然と構えている。北朝鮮がミサイルを撃っても危機感を抱く人は殆どいない。政治家も官僚も利権追求に余念がない。彼らは自らの懐が潤うのであれば、いつだって国益を毀損する。戦後教育の隠された目的は日本から「国家意識を奪う」ことだった。東日本大震災以前において愛国心という言葉はタブーであった。

 私は三島由紀夫に心酔する者ではないが、半世紀を超えても余韻が消えない彼の言葉に耳を傾けざるを得ない。