斧節

混ぜるな危険

北朝鮮の拉致実行犯を逮捕しておきながら釈放した福田政権

 1976年12月24日から1977年11月28日までは福田赳夫内閣である。ダッカ日航機ハイジャック事件法務大臣が辞任し、その後、改造内閣が組閣される。「私が官邸に入った後、国際手配をした」とあるのは、改造内閣安倍晋三官房長官に就任したことを意味する。福田首相ダッカ事件で「一人の生命は地球より重い」と述べ、テロリストの要求を丸呑みした。世界の安全保障関係者が嘲笑ったのも当然である。子息の康夫も首相経験者だが、今尚、親中派として中国共産党にベッタリとくっついている。戦後の自民党政権は世界基準で見れば完全な社会主義政権であった。以前書いた通り拉致被害者の中には創価学会員も存在したが、公明党創価学会は全く何もしなかった。土井たか子率いる旧社会党は最後の最後まで北朝鮮による拉致を「デマだ」と主張し続けた。