斧節

混ぜるな危険

化儀のヒント

 影武流(けいぶりゅう)の雨宮宏樹〈あめみや・ひろき〉が言語化の困難を吐露している。菊野がいみじくも「納得」と応じているが、納得できるのは理窟である。しかしながら理窟は技そのものではない。言葉はコミュニケーションのツールであって、言葉そのものを真理と錯覚し、ドグマ化されると、ツールであるはずの言葉が今度は人間を縛ってしまうのである。個人的には経典や教典を絶対視するテキスト(啓典)宗教では悟りに至ることができないと考えている。

 イス軸法の西山創〈にしやま・はじめ〉は以前からフォローしているのだが、沖縄拳法の山城美智〈やましろ・よしとも〉は初めて知った。いやはや凄い人物である。特に「型」の話は必見である。化儀(儀式)を考えるヒントがここにある。昨今は宗教界よりも武術界隈の方が人間の真実に迫っているように思われてならない。尚、打撃で西山が動いたのを初めて見た。付言しておくと菊野はプロ現役時代に山城の下(もと)で指導を受けている。