日蓮は佐渡に送られていた。
ここに来るまでが、すでにして大変だった。
相模国依知を出発したのが文永8年(1271年)10月10日、久米河(くめがわ)、児玉、下栗須(しもくりす)、高崎と経てから、碓氷(うすい)峠を越えて追分(おいわけ)宿に、さらに信濃路(しなのじ)を松代、吉田と、越後路(えちごじ)を国府、柏崎(かしわざき)と抜けて、21日には寺泊(てらどまり)に到着した。
やっと見つけた。ずっとこれを知りたかったのだ。Googleマップで辿ってみた。正確性を期すため次のページを参照した。
・上依知・本間屋敷【本間重連】の解説~日蓮を保護した相模・本間氏 | お城解説「日本全国」1300情報【城旅人】
・立川家(東村山市久米川) - 日蓮聖人のご霊跡めぐり
・児玉時国館
・下栗須祖師堂(藤岡市下栗須) - 日蓮聖人のご霊跡めぐり
・高崎市不明
「1271年10月10日に厚木の依知を発たれた日蓮聖人は、実に12日間(!)歩き続けて越後寺泊に到着された、と寺泊御書にあります」(寺泊祖師堂(長岡市寺泊) - 日蓮聖人のご霊跡めぐり)。
尚、Googleマップでは経由地を10ヶ所しか指定できないため、若干あやふやなコースがあるかもしれない。
徒歩コースだと距離は412kmで95時間を要する。クルマだと465kmで9時間前後となる。距離が長くなるのは有料道路を使うためか。群馬県高崎市を越えたあたりから標高1000mほどの山道が続く。日蓮は当時、数えで50歳である。楽な道程であったとは思えない。
同じ道を歩んで日蓮を偲(しの)ぼうとする信者のありやなしや。
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