斧節

混ぜるな危険

日蓮は悟ったのか?

戸田城聖の一瞥体験について

 ・日蓮は悟ったのか?
 ・龍ノ口から佐渡への道程

 その僅かに黄味がかる白い光に、迷いなく己をすっかり預けながら、日蓮は思う。これが寂光(じゃっこう)というものか。ここは寂光土、すなわち死後の世界なのか。
 痛みはない。苦しいというわけでもない。むしろ心地よい。だから、やはり死んだのだ。肉体を離れていればこそ、ありとあらゆる辛苦から免れることができたのだ。
 もはや至福の境地――そうとさえ思われたのは、気づけば釈迦の顔を仰いでいたからである。(中略)
 そうだったのか――と日蓮は開眼した。私は上行菩薩だった。私は釈迦滅後における法華経広宣流布を委ねられた地涌の菩薩、その導師のひとりである浄行菩薩だったのだ。
 今さらながら、己が生涯が納得された。終に命を落とすまで法華経に殉じたのも、思えば当然の宿縁である。


【『日蓮佐藤賢一〈さとう・けんいち〉(新潮社、2021年新潮文庫、2023年)】

 単行本のカバーは「日蓮聖人御持物『妙法蓮華経』」(池上本門寺蔵)である。公式サイトの「御霊宝」を見ると右側の一部が傷(いた)んでいるようだ。

 日蓮は、この後いくつもの過去生を見る。広く知られた龍ノ口法難(1271年)である。斬首できなかった幕府は佐渡流罪に処す。そこで日蓮は本尊を顕(あらわ)すのである。本尊図顕を出世の本懐と位置づけたわけだから、もし悟ったとすれば龍ノ口を置いて他にない。

 人気作家が描いた日蓮像は決して出来がいいとは言えない。種種御振舞御書(真蹟曽存)をなぞっただけの印象を受けた。

 私はかつて創価学会版の御書全集を二度読んでいる(もちろん音読だ)。日蓮の自覚が「上行菩薩の再誕」に変わったことは知っているが、悟ったかどうかは知らない。

 テーラワーダ仏教スマナサーラ長老は、「悟りに至る時、過去生を見る」(趣意)と指摘している。

 かつて、「この批判は当然、日蓮にも向けられる。『我れ日本の柱とならむ、我れ日本の眼目とならむ、我れ日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず』(「開目抄」)などの遺文は自我にまみれている」と書いた(獄中の悟達について)。この見方は変わっていない。むしろ強くなっているくらいだ。

 日蓮はテキスト絶対主義である。しかし、悟った人でテキストを重んじる人は一人もいない。むしろ言葉の象徴性や欺瞞を暴(あば)き、言葉の及ばぬ真理を説くために言葉を使いあぐねているような印象を受ける。

 言葉を重んじることは思考を重視することとなる。ところが思考で悟りに至ることは絶対に不可能なのだ。なぜなら言葉で行われるのは分別智であって無分別智ではないからだ。

 もっと言えば自我は言葉で形成されている。受け取った五感情報を好悪(こうお)の感情で判断し、論理で善悪を判別するところに性格が立ち上がってくる。

 もともと日本人は言葉を重視しなかった。それは「言(事)の葉」という表現からも明らかである。「口先」も同様で、口舌の徒などと言う。むしろ我々の祖先が重んじたのは「肚(腹)」であった。そのため武士は責任をとる場合において、「腹を明かす」=切腹をしたのだ。

 日本人は自然を愛(め)でるために言葉を操った。それが俳句や和歌である。ところが近代化を通してヨーロッパ文化が世界を席巻した。爾来、言葉はロゴス(論理)の道具となった。

 日蓮は悟っていないと思う。マンダラは法華経の場面を図示(ずし)したもので、それが悟りの内容であるとは考えにくい。また、シナ仏教の教相判釈ルールが大前提となっているのも危うい。覚者が他人の判断を鵜呑みにすることはないからだ。

 しかしながら、日蓮は近代人であった。国家統一以前にあれほどの国家意識を持ち、世界を展望し得た事実は彼の偉大さを雄弁に物語っている。

 日蓮は逝去の直前、池上宗仲邸(池上本門寺)で「立正安国論」の講義をしたとの言い伝えがある。なぜ、悟る前の自分の言葉に執着したのかが最大の疑問である。日本人全員が法華経の信者になったとしても安国になることはない。それは問題だらけの創価学会の実態や、分派抗争を繰り返す日蓮系教団の歴史を見れば明らかだろう。