斧節

混ぜるな危険

依存

 石丸伸二の言葉に私は衝撃を受けた。以下がその部分――

「私個人においては大変申し訳ないんですが、安芸高田市に依存ほぼしてない人間です。わずかな両親が住んでいるくらいの関わりであって、正直どこでも生きていける人間です」

 組織や会社で「ものを言えるかどうか」は結局、依存の度合いに依(よ)るのだろう。そこに年齢や報酬が絡んでくるのは当然だ。あるいは職責など。

 創価学会本部が共産党まがいの査問を繰り返すのは、「学会を辞めることはできまい」という強味があるためで、いつでも去ることができる人間にとっては全く恐れることではない。

 創価学会員にとって最大の弱点は「組織信仰」という誤った観念であり、「学会組織を離れて功徳はない」との刷(す)り込みが徹底しているためだ。ま、宗教的情報弱者といってよい。

 日蓮は組織信仰など説いていない。組織を過大なまでに信じている人間は本尊への信が薄い証拠である。

「誤った組織」はブラック企業と同じだ。そこで頑張れば頑張るほど心と体を蝕まれてゆく羽目となる。

 合理性を重んじる石丸には感情の翳(かげ)りがない。そして更に驚かされるのだが、石丸伸二の姿勢は市民に対しても全く変わらない(4分から)。