斧節

混ぜるな危険

宗教OS論

昭和型のOSをアンインストールせよ

 ・宗教OS論

 もう10年以上も前になるが「宗教OS論」というのを思いついたことがある。私はもともと「宗教が感情を支配している」と考えており、ちょうど3Dプリンタービッグデータロングテールなどがもてはやされた頃だった。その後AIが脚光を浴びるようになり、遂に昨年生成AIが登場した。ChatGPTが世界を完全に変えた。画像・動画から文章・音楽に至るまでAIで作れるようになった。

 私が考えた宗教OS論は以下の通りである。

 ・CPU――才能
 ・メモリ――感受性
 ・ハードディスク――自我
 ・マザーボード――家庭環境、地域性
 ・ディスプレイ――社会的身分
 ・Windows――キリスト教
 ・Mac OS X――イスラム
 ・PC-UNIX――無神論およびスピリチュアリズム
 ・Microsoft Office――資本主義および民主主義
 ・インターネット――世界または宇宙

 それほど見当外れでもないだろう。

 宗教というプログラミングが価値観を決める。特に正義の概念が厄介な代物で、あらゆる教団が必ず敵を作ってしまう。それは他の宗教だったり、社会だったり、時代だったりする。

 多くの現代宗教がテキスト宗教(啓典宗教)に堕しており、「言葉を信じる」愚行を犯している。日本語の感性はとても優れており、「言葉=言(事)の葉」がよく本質を衝(つ)いている。言葉や概念は思考のレベルであり、それを顕在意識と考えれば潜在意識が見落とされる。集合的無意識を発見したユングはその割合を3%:97%としている。つまり教義は3%の範囲に収まるわけだ。

 因(ちな)みにヨーロッパで無意識を発見したのはフロイトであった。20世紀に最も大きな影響を与えた人物としてアルベルト・アインシュタインチャールズ・ダーウィンと並んで必ず名前が挙がる人物だ。インド哲学ではブッダ以前から無意識は説かれていたが、それを無視して文明の先頭に立っていると勘違いしているのがヨーロッパの流儀だ。

 ところがどうしたことか世界はキリスト教の考え方に染まっている。近代化が達成されると必ずキリスト教的価値観に覆われる。正義・平等・人権など。散々自分たちで残虐な殺戮行為を行っておきながら、後出しジャンケンのように理想を説くのが欧米の悪癖だ。

 山田玲司が語っているようにテレビばかり視ている人はテレビの言動や価値観がOSとなる。社内文化は社内OSで一般的な常識を排除する。

 昨今深刻になりつつある移民問題も「文明の衝突=OSの衝突」と考えればわかりやすい。特にイスラム教の知識が乏しい日本人がムスリムを受け入れると後々大変なことになる。

住民反対運動も"世界一の火葬大国日本"で在日外国人が望む土葬を受け入れられるか 在日ムスリム20万人の終活の行方 | PRESIDENT Online

 イスラム教といえば、「悪魔の詩訳者殺人事件」(1991年)を思い出す。いざとなれば思い切ったことができるのが宗教の恐ろしさだ。

 OSを変えることは可能だ。しかしながら、そんな発想すら思いつかない人々が多い。