斧節

混ぜるな危険

悟りには8段階がある

『悟りの階梯 テーラワーダ仏教が明かす悟りの構造』藤本晃

 ・悟りには8段階がある

 そもそも、ブッダとは、「目覚めた〔者〕」という意味のインド語であり、「目覚める」という意味の自動詞の過去分詞である。自動詞である以上、彼の「目覚め」は対象を持たない。
 ただし、実のところ、仏教文献においては、ブッダやその後継者たちは、明らかに、ある対象を知見して聖者となっている。
 まず、部派仏教においては、聖者として、預流(よる)、一来(いちらい)、不還(ふげん)、阿羅漢(あらかん)という4段階がある(阿羅漢はブッダの異称でもある)。細分すれば、4段階のいずれについても、向(こう/〔その段階へ〕向かいつつある者)と果(〔その段階を〕結果としている者)との二つがあるから、結局のところ、四向四果(しこうしか)がある。


【『「悟り体験」を読む 大乗仏教で覚醒した人々』大竹晋〈おおたけ・すすむ〉(新潮選書、2019年)】

 昨今出回っている悟り本は預流果(よるか)の経験を綴ったものが大半である。まったく羨ましい限りである、などと思っているうちは悟りから遠ざかることを弁えておく必要がある(笑)。

「対象を持たない」とは、何かに目覚めるのではなく、朝起きる時のように覚醒するという意味だ。

 本書によれば、ブッダが弟子や信者の悟りを認定することを「授記」(じゅき)としている。将来の成仏を約束するものじゃなかったのね。

 尚、仏道の目的である解脱(げだつ)とは一切の執着から離れて涅槃(ねはん/ニルヴァーナ)に至ることだが禅定には八つの段階がある。

 初禅 → 第二禅 → 第三禅 → 第四禅 → 空無辺処 → 識無辺処 → 無所有処 → 非想非非想処 → 滅尽定(滅尽定とニルヴァーナ

 最後の「滅尽定」が解脱と考えていいだろう。「八解脱」(「ブッダ伝」第17章 ウッダカ仙人にも学ぶ)という言葉もあるようだ。

 非想非非想処が「有頂天」である。

 涅槃とは「吹き消す」意である。つまり悟りの段階とは煩悩が消えてゆく様相を示すもので「生命の自由度」を表している。