斧節

混ぜるな危険

偏向する地方紙が亡国へと導く

・『いま沖縄で起きている大変なこと惠隆之介

 ・偏向する地方紙が亡国へと導く

・『なぜ彼らは北朝鮮の「チュチェ思想」に従うのか』篠原常一郎、岩田温
・『これでも公共放送かNHK! 君たちに受信料徴収の資格などない小山和伸
・『ちょっと待て!!自治基本条例 まだまだ危険、よく考えよう村田春樹

 冒頭から北海道と沖縄の共通点の悪いところばかりを並べ立てて少し心苦しいのだが、もう一つ最悪な共通点が存在する。
 それは、「迅速、正確に報道し、公正な社論によって健全な世論を育てる」(北海道新聞編集綱領)べきマスメディアであるにもかかあらず、正論、公正とは思えない報道で、時には事実を歪曲し、一方的な主義・主張に基づいて書き立てている地元新聞社の存在である。
 最近はインターネットでも「沖縄タイムス」や「琉球新報」の記事を読むことができるので、目を通すようにしているのだが、この2紙の一面的な報道姿勢には呆れるばかりだ。地域や新聞社によって、記事に特色が出るのは当然だが、基地問題やいわゆる琉球独立論などの記事を読むたびに、「沖縄の人たちはこの新聞を読んで、どう思い、考えているのだろう?」と心配になってしまう。
 私の地元、北海道にも、朝刊約100万部、夕刊約45万部、北海道の新聞購入世帯の約4割という圧倒的なシェアを持つ北海道新聞(通称・道新)がある。その報道ぶりも沖縄に負けてはいない。詳しくは本書で述べるが、道新のアイヌを擁護する論調は果たして公正な報道と呼べるだろうか。(中略)
 時折、朝日新聞を読むが、「吉田調書」(誤報問題)と「吉田証言」(慰安婦報道問題)で、偏向報道の代名詞となった朝日新聞ですら「まとも」と感じてしまう。
 ちなみに、その道新がことのほか熱心に行っていることといえば、世界中のジャーナリストや人権団体が「報道の自由の敵」と非難している中国共産党との交流である。驚くことに、道新と中国共産党の機関紙である「人民日報」との間には人事交流もあるという。


【『北海道が危ない!』砂澤陣〈すなざわ・じん〉(育鵬社、2016年/扶桑社オンデマンド、2019年)】

 全北海道民必読の一書である。道産子の私は衝撃を受けた。

 北海道は日教組の牙城の一つである。義務教育で日本の伝統の大切さを教わることは一度としてなかったし、「君が代」を歌ったことも一度しかない。それも中学の音楽の授業で。因みに「蛍の光」も歌ったことがない。合唱が盛んな中学だったのだが、卒業式では毎年、卒業生がドイツ語で「ハレルヤ・コーラス」を歌っていた。初めて耳にした時の感動は忘れることができない。このようにしてどんどん「君が代」から離れてゆくわけだよ。

 もう一つは私の世代の問題がある(昭和38年/1963年生まれ)。高度経済成長期に育った我々は戦後教育にどっぷりと浸かって、経済的恩恵を受けながらぬくぬくと成長した。テレビ・新聞・学会は完全に左翼が牛耳っていた。10代の私は本多勝一〈ほんだ・かついち〉や鎌田慧〈かまた・さとし〉、深代惇郎〈ふかしろ・じゅんろう〉の著作を何の疑問も抱くことなく読んできた。『週刊金曜日』を創刊号から購入していたほどだ。特に『潮』誌で連載されていた本多の「貧困なる精神」を愛読していたこともあって、イザヤ・ベンダサン山本七平〈やまもと・しちへい〉に対する嫌悪感が醸成され、友人にまで吹聴していた。

 更に創共協定で創価学会が左方向に舵を切った影響も大きかった。言論出版妨害事件の責任をとって公の場で謝罪に追い込まれた池田の言動は常に反日的であった。方向性はナショナル(国内)からインターナショナル(国際)にシフトした。グローバリゼーションの走りといってよい。私は池田の講演についてはほぼ100%に目を通してきたが、日本の伝統を称える言葉は皆無である。戦前の弾圧を通して反権力を主張する内容が圧倒的に多かった。完全に左翼的な姿勢である。それを反日蓮正宗にまで昇華したわけだから、左翼の破壊工作と何ら変わるところがない。

 本書を読んだのは4年前のこと。北海道知事選やニトリの親中ぶりを知るにつけ、私の中では北海道に対する諦めがどんどん大きくなってきた。百年記念塔も既に解体作業が始まっている。

 偏向する地方紙が亡国へと導く。そして無自覚な民が漫然と過ごしているうちに歴史は恐るべき早さで書き換えられてゆくのである。北海道と沖縄はいい意味での鷹揚(おうよう)さに付け込まれた恰好だ。

 個人的にはもう手遅れだと考えているので、特に何かしようとは思っていない。