斧節

混ぜるな危険

死別を悲しむ人

 ・死別を悲しむ人

意識のマップ

(※妹の)ナンディニは私の母を紹介し、次いで私に移った。われわれは再び座り、そして母は数年前に死んだ私の父のことを話した。彼女は彼をとても愛していたこと、そしてぽっかりと開いた大きな穴をどうしても埋められないでいることを話した。彼女はクリシュナムルティに、来世で私の父に会えるかどうかと尋ねた。私は、そのときまでに最初の高められた知覚の強烈さが鈍ったことを見出し、そこでじっと座って、クリシュナムルティから私が慰めになると期待した答を聞こうとした。多くの悲しみに暮れた人々が規則的な間を置いて訪問してきたに違いない、そして彼はきっと彼らにとって慰めになる言葉を知っているに違いない。
 すると突然彼は言った。「あいにくですが、あなたは訪ねる人を間違えたようですね、私はあなたに、あなたがお求めの慰めを与えることは出来ません」 われわれ一同はやや当惑したが、しかし彼は話し続けた。「あなたは私に、あなたが死後あなたの夫君に会えるかどうか教えてもらいたがっておられる。が、どの夫にお会いになりたいのですか? あなたと結婚した人ですか? あなたが若い頃あなたと一緒にいた人ですか? 亡くなった人ですか、それとも、もし生きていたら今日いたであろう人ですか? どの夫君にあなたは会いたいのですか? なぜなら、確かに、死に赴いた人はあなたが結婚した人と同じ人ではないからです」 私は自分の精神が、あたかも何か並外れて挑戦的なことを聞いているかのように、熱心に、ぱっと注意深くなるのを感じた。私の母は、もちろん、これを聞いてひどく当惑しているようだった。彼女は、時間が自分の愛していた者に何らかの相違をもたらしうるということを認める覚悟ができていなかったのである。彼女は「私の夫は変わったりしません」と言った。するとクリシュナムルティは、「なぜ彼に会いたいのですか? あなたが、いないのに気づいて寂しく思っているのは夫ではなく、彼の思い出なのです。奥様、どうかご容赦ください」 彼は両手を組んだが、私は彼のしぐさの完璧さに気づきはじめた。「なぜあなたは彼の思い出を生き続けさせようとするのですか? なぜ自分の心の中で彼を再現しようとするのですか? なぜ悲しみのうちに生き、悲しみと共に生きようとするのですか?」 私の頭の中でぴんとくるものがあった。私の精神は、彼の言葉、その明晰さと正確さに応ずるべくさっと飛び上がった。私は、彼が伝えようとしていた何かとてつもなく大きなものに自分が触れていたのを知っていた。言葉はきびしかったが、しかし彼の目にはいやす力と優しさが宿っており、そして話している間中彼は私の母の片手を握っていた。


【「クリシュナムルティとの邂逅」ププル・ジャヤカール/ゴトの読書室】

 11月18日は私の入会60周年の記念日であった。先生の訃報を知ったのは午後2時41分。一番下の弟からLINEで教えられた。「先生、長い間お疲れ様でした」と胸のうちで呟いた。既に創価学会から離れ、日蓮から離れ、仏教からも離れている私の心が揺らぐことはなかった。

 初めて小説『人間革命』(当時は10巻まで)を通読したのは高校3年の時だった。抑えることのできない感動を友人に語り、バレー部の部室では講義をした。学校に読書感想文を提出しようと目論んだのだが、父から「やめておけ」と言われた。

 爾来(じらい)、30年にわたって我が人生には池田大作という風が吹いた。吹き渡ったといってよい。そのこと自体には一片の悔いもないし、心から感謝している。今でも、「ああ、信心していてよかったなー」と思う。そんなことは当たり前だ。自分の意志でやってきたのだから。

「先生、ありがとうございました」――私なりに初七日までは喪(も)に服した。ブログの記事を書かなかったのもそれが理由である。弟によれば四十九日忌は1月2日だそうだ。

 悲哀を競うような真似はやめよ。それでは北朝鮮の泣き女になってしまう。

 上記テキストは職場の先輩が高校生の娘さんを喪った時にコピーして送ったものだ。「ゴトの読書室」は個人でクリシュナムルティの英文を翻訳しているサイトだった。ところが先日、アクセスしたところサイト自体が消失していた。

 人は寿命で死ぬ。寿命が尽きたから病気になり、事故に遭(あ)い、またある場合は殺されるのだ。

 私は多くの後輩を喪ったこともあって30代半ばで涙が涸(か)れ果ててしまった。父が死んだ時も泣いていない。

 夭折(ようせつ)であれば、悲しむのは已(や)むを得ない。しかしながらそこには、「長く生きればもっと幸せを享受できたはずだ」との楽観的な思い込みがある。不幸や悲劇に見舞われる可能性はまったく予期していないのだ。

 悲しみをただ観察してみよう。そこには自分勝手な利害や都合や依存がないだろうか? それまで所有していたものを喪失したような錯覚はないだろうか?

 やがて、あなたの両親も死ぬ。あなたよりも子供が先に死ぬ場合もあるだろう。そして、あなたも死ぬのである。

 誰かの死を悲しむよりも、自分の死を見つめることが本当の恩返しになると思う。

20060918162028